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雑記他

雑記

『テラスハウス』に出演した女子プロレスラーの木村花さんの自殺を機に、ネット・SNSや報道メディア問わず誹謗(ひぼう)中傷問題が連日問題視されるようになりました。こちらとしても長年ネットを利用し、誹謗中傷を受けた過去もあるので、とても他人事のようには思えません。

よく議論されている問題ではありますが、こういった人たちをタイプ別で考え、なぜ検挙者も出ているのに、未だ無くならないのかを見ていきます。しかしその前に、この一連の流れに違和感を感じた部分があるので、以下に述べていきます。

これは一個人の意見です

他の様々な意見・視点も取り入れてください。


なぜ今になって問題化?

この痛ましい事件により誹謗中傷問題が議論され、国もこれらに関する法律を変えようと動きはじめました。しかし疑問なのが、「なぜ今更になって、誹謗中傷問題がここまで問題視されたの?」ということですね。

誹謗中傷自体は20年以上前からあり、20年以上前から問題視されてきたはずですし、泣き寝入りした人のみならず、今回の彼女のように、これを苦に自殺をした人だって少なくないはず。

韓国の『指殺人(書き込みで著名人を精神的に追い詰めて自殺させるネットスラング)』など、今になって始まったことではないのに、本当に今更というか遅すぎるというか、違和感を覚えますね。

まあ、この辺りを語ると非生産的だから省略するとして、「遅まきながらも、ようやくネット・SNSの誹謗中傷の異常性・問題性を国が理解してくれた」と好意的に解釈するようにしています。今後彼女のような人を増やさないよう、徹底的に見直してもらいたいものです。

ただワイドショーで「匿名性をやめて実名化すべきだ」とコメンテーターが語っていたのは大きな間違い。

確かに『ペルソナ効果』など、素性を隠せば態度が大きくなる人は一定数いることを示した、科学的な実証もされています。しかしながら、実名や顔写真ありでも誹謗中傷をする人がいるのは、韓国をはじめとした海外の例や、有名人の一部などを見れば分かる通り。根本的原因は他にも考えられます(後述)。

「メディアはSNS(ネット)のせいにするな」の前に

(案の定というか)この問題に対して、

  • 「メディアも同じことをやっている」
  • 「SNSより先にメディアや制作側を処罰しろ」

という論調がネット・SNS上で多く見られましたね。あの乙武洋匡氏ですら、「メディアはSNSのせいにするな」って言うレベルです。丸山穂高議員は平常運転なのでご割愛(かつあい)。


しかし、この論理は前提を考えると破綻していますし、そもそも誹謗中傷問題は「ニワトリが先か卵が先か」という話ではなく、免罪符(めんざいふ)にもなりません。

別にメディアの肩を持ったり擁護(ようご)もするつもりはなく、制作・発信側にも一定の責任があるのは確かです。ですがメディアの場合、問題が発覚すれば審議され、コメンテーターや出演者も発言に非があったことが確定すれば、責任を取らされます。

一方、ネット・SNSの場合はどうでしょうか?

誹謗中傷したり心ない言葉をぶつける人たちは、顔出しや本名でない人であればあるほど、自分たちに問題があったことが分かると責任転嫁(か)や、削除して無かったことにしようと無責任な行動を取るだけではなく、

  • 「俺は悪くない」
  • 「みんなやってる」
  • 「有名税だろ」

と、自己正当化や被害者意識をむき出しにします(批判・批難の区別すらついていないのは言わずもがな)。

これは過去のスマイリーキクチ中傷事件・3.11放射能差別・あおり運転デマ・自粛警察・感染者叩きなどで検挙された加害者たちや、擁護・正当性を主張する人たちを見ても明らかで、「メディアも同じようなことをしている。ネット・SNSに責任転嫁するな」とするのは無理があります。

その理屈を通すなら、(匿名だろうが本名だろうが)ネット・SNSユーザーも皆、自分の言動に責任を持ち、問題があれば素直に非を認めて、しかるべき処罰を受け入れることを常に覚悟している前提がないと成立しません。

責任転嫁する人ほど、普段からそういうことをやっているから、後ろめたいのだろうとしか思えませんし、「アンチ(誹謗中傷)は有名になった証」「有名税」は被害者側が使う言葉であって、加害者側や第三者、傍観者が免罪符にして正当化するものではありません。

誹謗中傷の分類と心理

ネット・SNSにおける誹謗中傷問題をタイプ別するならば、

  • サイバーカスケード】共通する思想・主張に集団になって過激化し、極端かつ先鋭(せんえい)的な内容であふれかえる。
  • 被害者叩き】被害者のほうが悪いとするタイプ。それがたとえ死んでしまった人に対しても行われる。
  • 特定晒し】『ネット私刑』とも。加害者の個人情報を晒して制裁する行為。
  • クソリプ】ツイートに対して無価値な内容や攻撃的な文面を送りつける。SNS上の悪質クレーマー。
  • マウンティング】マウント取りとも。俺が上アピールで優越感に浸りたい人。

大まかにこれらが問題にされやすいでしょう。共通点は主に「歪んだ認知(偏〈かたよ〉った考え方)」が原因と言われますが、簡単に心理分析を述べていきます。

『サイバーカスケード』の心理

サイバーカスケードに呑まれやすいのは、

  • 自分の意見を持たない人
  • 信じたい意見しか認めない人

とされています。

炎上している当事者のツイート・コメントや、それを扱うブログのコメントを見たことがある人であれば、「これ上の人が書いた意見を、そのまま自分の意見のように書いているよなぁ」って感じる場合が多々あるのではないでしょうか?

特にツイッターやまとめブログ・5ch・質問サイトでは顕著(けんちょ)に見られ、頭が良くない(思考力・想像力・論理性が乏しい)から、意見に「洗脳」されやすいのでしょう。『国民の8割はバカ』『大衆は感情で動き論理が通じない』なんて俗(ぞく)説もありますからね。

『被害者叩き』の心理

これは心理学用語でいう『公正世界仮説』で説明できるとされています。

簡単に言うと、

  • 「普段からそういうことやってるから恨まれるんだ」
  • 「疑われるようなことをするからだ」
  • 「そんな危険な場所・治安の悪い地域に行くからだ」

といった、自己責任論・因果応報・自業自得的な考え方です。これは木村花さんやスマイリーキクチ氏の件しかり、ネット上の逆恨みで殺害されたブロガーのhagex氏のケースにも該当します。

自分を含め、ニュースを見て誰でも一度はふと心の中で思ったことがある、心当たりがあるでしょうが、かといって傷つけられた被害者や、殺された人の死体を蹴るような誹謗中傷をするなんてのは、社会通念上許される行為ではありません。


『特定晒し』の心理

こちらは以下の記事に詳しく書いているので割愛しますが、

  • 正義感と称した日頃のうっぷん晴らし・自己肯定感を高めている
  • 脳の先天的・後天的要因から直情的な正義感に駆られる

彼らは正義だの制裁だの息巻いていますが、私刑は犯罪と知らない場合がほとんど。自分を正義と信じて疑わず、「俺は間違っていない! 俺は正しい!」と頑固で、デマや誤報だと「元凶が悪い」「みんなやってる」と、犯人探しで自己正当化するんですね。

厄介なのは「(うっぷん晴らしを除けば)基本的に悪意がある人たちではない」部分ですが、悪意がないからって免罪符にはなりませんし、誹謗中傷をした相手を誹謗中傷(特定晒し)している場合は、「本質は同じ低レベル同士。同族嫌悪をしているだけ」でしかありません。


『クソリプ』の心理

これについては様々な仮説があるようです。

  • 国語力・読解力がないから攻撃的になる説
  • 共感性と自己肯定感が低いかまってちゃん説
  • ネット掲示板やニュース記事のコメント欄に書く感覚説(当人ではなく“文章に”攻撃)



様々な人によって考察されていますが、共通するのはフォロー・フォロワーもほとんどいない使い捨てアカウント(捨て垢)から発信していることですね。そしてこの「ネット掲示板やニュース記事のコメント欄に書く感覚説」のマンガを描いた森園氏の考察は目からウロコでした。

自分宛にたまに来るクソリプもこれが当てはまるので、すごく納得。ただ、同時に意味不明な内容ばかりですから、「頭のおかしいヤバイ人が、ニュース記事のコメント感覚でクソリプを送っている」に近いでしょう。
 


『マウンティング』の心理

マウンティング……というより、「相手を見下す」自体はやらない人はいないでしょう。人種・職業差別などは論外ですが、成績が下の人・仕事ができない人・礼儀知らずな人・おつむが弱い非常識な人を見下すなどは、大なり小なり誰でもやるものです。

動物だって立場を示す目的でマウンティングするのですから、生き物の本能のようなもの。

ただ、普通は自制心を働かせて心にしまうか、仲間内だけでグチり合うだけか、問題提起で指摘・正当な批判の範囲に留めるもの。それを他者を眼前で、ましてや赤の他人に対して人格攻撃しようとはしません。

「相手を傷つけないため」か「余計なトラブルを避けるため」かはともかく、良識ある人間ならまずしないもの。過激なマウントを行う人ほど、差別語やレッテル貼り、ネットスラング(定型文)や語録などを多用する傾向があります。

国語力が低いけどマウンティングしたいから用意された言葉を使いたがるのでしょうが、

  • 自分が満たされていないから説(日常・社会の不満・コンプレックス)
  • 精神疾患・発達障害・パーソナリティ障害説

心理構造的には『特定晒し』と近いものがあります。心が幸せなら攻撃的なマウント取りなんてしないから、当人たちの脳に構造的な問題もあるでしょう。

「誹謗中傷は絶対無くならない」と言える理由と根本的原因

この問題に対して、「適切なネットリテラシー教育や『画面の向こうには人がいるんだ』と理解することが大事」と、誹謗中傷を防ぐには教育が必要だという意見も見られます。確かに教育は大切ですし、良心に呼びかけて自分を見直して反省し、誹謗中傷しなくなる人は少なからずいるでしょう。

ですが、抑止力にはならないだろうと思いますし、誹謗中傷は絶対に無くならないものと断言できます。というのも、

  • 慢性的な誹謗中傷中毒になっている人
  • 発達障害・精神疾患・パーソナリティ障害でそもそも理解できない人
  • 誹謗中傷撲滅を訴えながら無自覚で誹謗中傷をやる人

こういった人たちは先に上述したように、根本的に歪んだ認知を持っていますので、良心の呼びかけや教育だけでは不十分です。

慢性的な誹謗中傷中毒になっている人
『誹謗中傷中毒』について説明すると、コンプレックス(劣等感)の解消や自己肯定感の向上、ストレス発散などを口実に、誹謗中傷が快感だからやめられない感じですね。「信者かアンチ、面白いかクソか」みたいな二極思考の極論が好きで、「死ね・ガ○ジ・キ○ガイ」などの心ない言葉や攻撃的言動を好むのは典型例。

依存性も高く、一種の薬物依存のようなものだと言っても過言ではないもので、実際にスマイリーキクチ事件の加害者の中には、「もうしません」と謝罪の言葉を口にしておいて、数時間後にはまた誹謗中傷をしていたケースがあったそうです。

そして誹謗中傷にハマる人であればあるほど、自分の行動を正当化したり、理屈を並び立てて開き直っているのも特徴です。

  • 「昔からやっている癖みたいなもんだし今更直せない。便所の落書きだろ?」
  • 「ネットとリアルは人格違うから」
  • 「相手が悪いんだから叩かれて当然。アンチも多いし俺は悪くない」
  • 「最初に書いた奴が悪い。みんなやってんのになんで俺だけ言われるのさ?」

ここまでくると重度の薬物依存者ですし、周りや自分の人生を潰す前に、ちゃんとカウンセラーや精神医療といった、しかるべき治療を受けたほうがいいでしょう。こういった人たちには良心だとか、モラル教育が抑止力には決してならないことを物語っています。


発達障害・精神疾患・パーソナリティ障害でそもそも理解できない人
そして次に、発達障害・精神疾患・パーソナリティ障害者のケース。

彼らは相手を傷つけた場合、謝罪の言葉は口にしても反省も改善もしません。なぜなら脳の構造上、思いやりや想像力、自分を客観的に見る「メタ認知」能力が乏しく、思っても言ってはいけない言葉や、反省や改善の意味が分からない(認知のずれで根本的な勘違いをしている)からだそうです。

一般的な人の場合、失敗すれば「これは悪いことだったんだな。確かに今思い返せば問題だと自分も思うし、落ち度があったなら次からはここを直して気をつけよう」と意識を持っていけますが、

  • 「なにか悪いことした?」
  • 「反省って何? 謝るのが反省じゃないの?」

と彼らは思いがちらしく、反省や改善って、自分を見直して相手のことを考える「客観的に見る力と思いやりの心」から生まれる概念ですからね。

謝罪の言葉は社交辞令・通過儀礼でしかなく、「客観的に何が問題かを見直し、改めるのか」までを考えないと意味がありません(少し外れますが、「謝罪を強制する人はどうかと思う」と言う人は、この辺りを分かってない場合が多いです。「謝罪しろ!」と声高に叫ぶ人も、謝罪の意味を歪曲していますが)。

こちらも幾度か関わったり見聞きして経験したものの、本当に反省の意味が全然分かっていないし、悪いと思っていないから、一方的な被害妄想や被害者面をしがち。人物や作品に粘着行為をしたり、自己紹介で疾患や障害をカミングアウトしたりするケースもしばしば。

彼らにとって「画面の向こうには人がいるんだから、思いやりを持ちましょう」は理解できない世界なのでしょう。

もちろん、彼らの全てが犯罪者予備軍ではなく、改善の努力を怠らない真面目な方もいるのは承知ですが、これは実体験のみならず、医師の人ですら認める事実。特に発達障害は病気ではなく個性だから、自覚しないと「治す(矯正する)」ことはできないそうです。

非行から見えてくるもの:1(藤川教授)

— 朝日新聞 —

注意欠陥・多動性障害(ADHD)

— 心療内科・精神科 キムラクリニック —

医師も逃げ出す迷惑アスペルガー

— 治しやすいところから治す--発達障害への提言 —

アスペルガーは反省しないの?

— アスペルガー特徴.com —


誹謗中傷撲滅を訴えながら無自覚で誹謗中傷をやる人
上記2つの延長線上のケースで、誹謗中傷はダメと言っておきながら、実は自身も無自覚で誹謗中傷をしているのは非常にタチが悪いですね。

大体この場合、「誹謗中傷被害経験がある、正義感が強くて自分が正しいと思う感情的な人」がなりやすく、その中でも「デリケート・政治的な話題に主義・思想などの持論を発信している」人ほど、自身の問題行動・攻撃的言動や暴言には反省せず、屁理屈を述べて正当化して開き直っていることも多いです。

いじめの根絶を訴えているが、当の本人がいじめを無自覚にやっていた」のと同じで、自分の行動を客観的に見られない(メタ認知が低い)人とも言えます。

たとえば、こういった誹謗中傷する人がニュースや特集で取り上げられると、

  • 「誹謗中傷するクズどもは死ね」
  • 「こういうゴミ(誹謗中傷する人)はさっさと死刑にしろ」

と書き込む場合ですね。先ほど『特定晒し』の項目でも述べたので省略するとして、このような攻撃的な口調を使う人は、立場が違うだけで加害者と本質は同じであり、「誹謗中傷相手を誹謗中傷している」状態です。

過激に思想・持論展開して情報発信する人もそうで、人間である以上、失敗や間違った行動は仕方ないにしても、それを棚に上げて「誹謗中傷を許すな」は虫がよすぎるもの。不当な攻撃への毅然(きぜん)対応と同時に反省する姿勢も必要で、「君こそ普段から相手を傷つけてるのに、被害者面してんじゃねーよ!」と言われかねないものです。

これについての具体例を上げるならば、はるかぜちゃんこと春名風花さんのケースですね。最近ではテレビ出演し、不当な人格攻撃や誹謗中傷への毅然とした対応の大切さを述べています。この辺りは正しい行動なので異論はありません。

ただ、彼女は過去に罪のない一般人(退会済)を悪者扱いしたツイートへ便乗し、思慮に欠けた煽(あお)りや暴言で応酬ツイートをしたことがあり、経緯を周囲から説明されても、「私の主義主張だから認められない」と、不当な攻撃をしたことについて、一般の方に一切謝罪をしなかった出来事がありました。

2020年に「あれは一般人にではなく、一般人を支持した一部の過激派が、わざと不愉快にさせる動画を見せて盛り上がる行動に怒っていた。断片的に切り取らず真意を見てほしい」と、彼女本人のものと思われる弁解記事を掲載しましたが、当時の内容を何度読み返しても、「一般人への外野攻撃」としか見えないんですよね。

少なくとも「その一般人の攻撃ではない」を前置きする言葉が見当たらず、むしろ当時のツイートでは、明らかに一般の方を指した上で暴言をいくつも書いていました。弁解記事ではその件を伏せていて、仮に本人執筆なら、都合の悪い部分は無視しているのは卑怯というか自己愛が過ぎるというか……

意見を持つのはいいことですし、誹謗中傷問題に立ち向かった姿勢は立派だと思います。ただ、特定の単語に反応して「持論」と称し、煽りや挑発に見えるツイートを何度も繰り返し、言葉の節々に「私は常に正しい」という我(が)の強さで問題行動を繰り返していたのも事実。

ゆえに「どんな理由でも、相手を不当に攻撃してはいけない」という言葉に関してだけは、彼女も一部は誹謗中傷の加害者になっているので、説得力を感じません。誹謗中傷へ毅然に立ち向かうだけではなく、どんな持論であれ、結果的に自身の行き過ぎた行動を素直に認め、反省することも同じぐらい大切。若気の至りとか関係なくですね。

それをしてはじめて、説得力が生まれますし、「思想から問題提起すること」と「煽りや攻撃的な口調を用いること」は全く別の話です。彼女はその部分をおろそかにしたり一緒にしていますから、誹謗中傷は論外として、鼻につく人が少なくないんでしょう。

自身の攻撃的言動を棚に上げ、自分の不当な攻撃には許さない態度は、反感を買いかねないものです。どんな思想や理由であれ、自分の行動は客観的に見なければなりません。


……以上のように「誹謗中傷する人の大半」は、上記3つの症状をこじらせた人たちだと考えていて、「悪意ある書き込みや特定晒しで検挙された人が数多くいるのに、未だ書く人が後を絶たず、動機も悪びれたり反省もしていない」のは、この理由だとつじつまが合うのではないかと。

一番面倒なのは、『表現の自由』を都合よく拡大解釈したり、歪んだ認知だからこそ逆恨みをする可能性があること。論理破綻した自己正当化や、意味不明な言動で被害妄想に囚われている相手は要注意。

ゆえに教育や良心では抑止力にならず防ぎきれず、今後もなくなることはないので、告訴のハードルを下げたり、罰則に重点を置くのが効果的に思います。海外の誹謗中傷対策もそういった対処を重点的にしていますからね。

最後に:もはや「便所の落書き」は通用しない

元2ch創設者のひろゆき氏がテレビのワイドショーで「所詮は民間会社がやっているサービスに過ぎない。嫌ならSNSやめればいいんですよ」と言っていましたが、それは今の無法地帯ぶりは普通だと言っているようなもので、自己責任論を持ち出し、臭いものにフタをしただけの極論です。

利用しない勇気、使わない意思を貫くのは正しい選択の一つですが、かといってSNS(ネットも含む)は昔言われたような便所の落書きではもうありません。民間企業の一サービスであっても、社会的影響力は無視できないものになっています。

仮にSNSをしていなくても、回り回って周囲への風評被害や実生活の被害に遭(あ)う形に繋がってしまえば、「嫌ならやめればいい」という理屈では片付けられません。

それに誹謗中傷やマナーの問題を除けばSNS自体は便利なツールであり、より便利にするためにルール作りをしっかりしていくのは、何らおかしなことではありません。むしろ「ネット・SNSは悪口もバッシングも私刑(制裁)も何書いてもいい」という無法地帯を許している、今の風潮・システム自体がおかしいのですよ。

ちなみに、誹謗中傷する人は全ネットユーザーの中でも0.5%以下だと2016年に統計したデータがあるらしく 、動機もほとんどが愉快犯的行動ではなく、独善的で歪んだ正義感からだったそうです。あと、記事の内容的には批判じゃなくて批難だよね。批判という言葉を誤用してはいけない。


0.5%と言われると本当にごく少数だと錯覚しますが、この確率を人数で計算すると、ざっと50万人(ネット・SNS利用者を1億人と仮定)はいる形です。たかが50万人されど50万人ですし、ひとつの内容でも気が滅入るのに、その「正義中毒に侵された悪意のない50万人」が複数回も書き込んでいるのだから、たまったものじゃありません。

かつて、こういった無法行為がまかり通っていた汚点の時代があった」と語れるよう、ルール作りと厳しい罰則を設ける風潮は今後も続いていくべきでしょう。




DCアメコミドラマ『フラッシュ』のシーズン4でシスコが「(フシギダネは)めちゃくちゃかわいいんだ!」と言っているの最高に好き。

シーズン2まで「幸せの肉」Tシャツとか、よく分からない日本語Tシャツを着ていて癒やし要素だったのに、物語の展開上仕方がなかったとはいえ、シーズン3前半までのバリー(フラッシュ)との険悪ムードや話が暗すぎたから、その反動もあるかもね。

確かにフシギダネは可愛い。

絵描き・物書き・Webデザイナー・HTML/CSSコーダーの京都生まれなウサギ好き。「ネチケット(ネットマナー)やネット・情報リテラシーの扱い」「批判と批難(非難)の混同・誤用」には少々シビアで、性別問わず好きなタイプは「反省と改善の努力を惜しまない人」。長文や理論を分析し、簡潔に分かりやすくまとめるのが得意なため、リアル・ネットを問わず、各所からご好評をいただいております。