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オリジナル,SNS

自分はpixivなどのSNSを利用し、ツイッターを更新報告・作品公開・情報収集の場として主に活用しています。前置きとして、ツイッターはSNSではなく「(公式見解上)ミニブログでSNSではない」との意見もありますが、便宜上ここではツイッターもSNSの一つとして扱いますのでご容赦を(というか、以下に書いてある8割はツイッター関連です)。

ツイッターを使っているとは言っても、のめりこもうとはあまり思っていませんし、それ以外のSNS利用を(クリエイターでないのなら)他の人に勧めることもしません。その前に、なぜSNSをしなくても生きていけると表題に書いたのか、そこを先に記述しておきます。

主にSNSを指して書いています

ネットでも言える内容ですが、基本的にSNSを指します。


SNSはしなくても生きていける

昨今ではSNS……特にツイッターを利用することが当たり前のような風潮がありますが、使わなくても生きていけますし、使わなくても日常生活に大方支障はありません。ソース(情報源)は友人や仕事先の先輩。

別にしなくてもご飯は食べられ、手続きに困ることもありませんからね。せいぜい居酒屋で割引が効かないぐらいでしょう(どちらかというとフェイスブックが多いですが)。もちろんSNSは情報拡散が強い一面があり、絵描きなどのクリエイターや、何かを訴えたり意見を発信する情報提供者なら、宣伝にはもってこいのツールで、災害時の状況にもその一面が発揮されています。そこは大きなメリットです。

ですがそうでない場合、無理に使う必要はありません。むしろ流行っている理由でなんとなく利用するほうが一番ダメです。最低限のネチケットやネットリテラシーは大前提。何をしても言われる筋合いはない……だと、いずれ警察のお世話になります。

規模が大きいツイッターではツイートする=情報発信者になるをより自覚せねばならず、悪い情報や人間たちから自衛し、常に研磨し続けなければなりません。それ故に自信がない、特に必要だと感じていない場合は利用しない勇気を持つのも大切で、恥でもありません。

もし知り合いに利用を強要する人がいれば、ツイッターやSNSの性質やリスクを理解していない可能性が高く、いずれツイートや写真にいいねやリツイートをさせられ、己(おのれ)の承認欲求を満たす道具に扱われる未来が目に浮かびます。連絡目的なら、メッセージアプリや電話・メールを活用すればいいだけの話。

そしてやってないなんて恥ずかしい、非常識と垂れる人たちも、安直な動機で明確な目的もなく始めたような人たちでしょう。怖さを知らないですから、いずれ痛い目を見ますね。

SNSにそこまで肩入れしない・強要しない理由

ここからが本題ですが、自分がSNSにそこまで肩入れしない・強要しないのは、主に以下が理由になりまして、

  • 一部利用者のマナー問題とツイート内容
  • 100数字程度の文字表現に向いていない
  • 書きたいことは全てブログに書いているから

最初の理由が一番大きいですね。最近はネチケット(ネットマナー)やネットリテラシーをまともに身につけず、リスクや怖さを知らない人たちが利用するのが当たり前の時代。顔出しや実名登録のフェイスブックですら問題発言する人がいるほどなので、実名義務化で解決できるような単純な問題ではなくなっています。

当時のネット上にも、住所晒しや執拗(しつよう)に叩く行為はありましたけど、書き込むことや情報発信のリスクを理解しようとする風潮がありました。しかし今ではネチケットは死語になり過去の遺物ような扱い。

言い分が「昔は良かった」と垂れる懐古老人ですが、過去の風潮にさせず、未来にも残さねばならないと思うのは自分だけでしょうか?

もちろん理解した上で利用される、ネットリテラシーを身につけ、わきまえている同士のやりとりは有意義で微笑ましいものです。実際にそういった人たちとツイートするのは楽しいですからね。

しかし一部利用者の行動が目に余るのも事実。

匿名の問題と二元論・二極化

ここからは一部利用者のネチケットとネットリテラシー不足が招いた問題について、もう少し掘り下げて説明します。ネット・SNSの民度やモラル低下を正当に批判する記事には、

  • この記事もそうだろ
  • こいつらも同じことやってるんだよなぁ
  • マスゴミ(マスコミ)の常套(じょうとう)手段

など、自分を棚に上げてなんでもかんでもマスコミのせい。

報道姿勢に問題があっても、それで自己正当化するのは卑怯で無責任であり、CMやドラマやアニメなどでネット・SNSの誹謗(ひぼう)中傷を題材にすると「寒い」とコメントする人と同じです。普段からそのような行為を日常的にやっているから、後ろめたいのではと。

彼らは自由を拡大解釈しているのも特徴で、荒らしや問題ツイートへの対策が出されると、

  • 「言論統制」
  • 「ディストピア化」
  • 「言論の自由を侵害」

大体よく見かけるコメントがこれらですね。

自由とは、仮に発信内容が原因で問題が発生した場合、その責任も払えるまでが自由という規範意識のもとに成り立つ概念です。「自由には責任を伴う」とはよく言ったもので、今の惨状は発言の自由がある世界などではなく、ただの無法地帯でしかありません。

その結果が、炎上・私刑・ヘイト・差別・排斥(はいせき)行為になるんですよね。ネット・SNS全体における問題で、『ネット死刑(ネットイナゴ・特定晒し)』と呼ばれる行為がそれです。今の日本や警察は無能だと、言うだけ番長でしかなく、仮にいい年こいた大人が、こういうことを平気ですると思うとゾっとしますね。



ネット・SNSは、職業や年齢、立場の壁を取り払った社会そのもので、他の誰かの意見をさも自分の意見のように振る舞う人も問題です。自分の意見ではないということは、「コピペしただけ」と逃げることも可能というわけですから。

思考力とネットリテラシー

思考力とネットリテラシーが乏しい人たちの末路が、数年前にメディアに取り上げられた、

  • バイトテロ
  • バカッター(“バカ発見器”とも)
  • デマ拡散

といったツイッターを中心にした騒動で、実害も発生した社会問題。

ネットスラングでいうところのいわゆる『情報弱者』と呼ばれる人たちで、自分の主張・行動が矛盾したダブルスタンダードに陥っている場合も多く、「悪質クレーマーを許すな。でも運営には徹底的に暴言クレームを入れろ」は典型的行動です。

本来、情報弱者とはIT環境が満足に利用できない国や地域・世帯を指しますが、ここではネットで言われる内容と同じように、

  • 情報弱者(当記事定義)】ツールの誤った認識、情報を精査せず鵜呑みして翻弄(ほんろう)されるなど、思考力とネットリテラシーが乏しいことを自覚せずに利用し、トラブルを起こすリスクが非常に高い人たち。

……と、しておきます。上記の他にも、

  • パスワードを使いまわし。パスワード保管がずさん。
  • 住所・通学先・本名・プリクラ写真(顔出し)を公開(ビジネスの場合は除く)。
  • 第三者が映った写真やプリクラや自分の子供の写真を無加工で載せる。
  • 無許可でイラストの転載どころか加工して、自作品のように公開する。
  • 情報の一次情報サイトではなく、まとめブログ・トレンドブログや5chばかり見ている。
  • 記事の見出しやタイトルだけを見て脊髄(せきずい)反射。
  • 日本語は分かるけど文章が読めない(行間が読めない、読解力・国語力がない)。

これらも該当する行為ですね。世界的な問題らしく、ネット・SNS利用者の6割が、共有の欲求を満たす目的しか持っておらず、内容はどうでも良くてタイトルだけで拡散する という、ワシントンポストの統計記事があるそうです。


情報が事実なら深刻な問題。なお思考力やネットリテラシーは、本人の自覚次第でいくらでも鍛えられます。



「無言フォロー禁止」「FF外から失礼します」?

全員ではないですが、こういった「情報弱者」と思われる人ほど、

  • 無言フォロー(フォローしても挨拶をしない)は禁止です
  • FF(フォロー・フォロワー)外から失礼します

「実生活と同じ礼儀・マナー」と称して持ち出し、これらをSNSで使う傾向があります。自分から言わせれば全く意味不明な謎のやりとりかつ、ものすごく違和感で、SNSって相手と気軽に・広く・浅くつながる文化じゃないんですかね?

確かに他人に礼節や礼儀を払うのはオンライン世界でも必要ですが、それはマナーでもなく勝手なマイルール。数万・数十万人のフォロワーがいる有名人(インフルエンサー)は、その全員に対して挨拶ツイートをさせていると思っているのでしょうか?

百歩譲って無言フォローが嫌なら、アカウントに鍵をかけて非公開にすればいいだけ。無言フォロー禁止と言っておきながらアカウント公開しているのは、自己承認欲求が高いかまってちゃんなのでしょう。正直SNS利用には向いていない人と思わざるをえません。

SNSは気軽にフォローして気軽にコメントする文化で、パソコン通信時代(80年代)やFlash黄金期(21世紀初頭)の頃からのネット利用者ほど、同じことを思う人が多いようです。情報弱者というより「初心者」と言ったほうがいいかもしれませんね。

なお「FF外から失礼」は日本だけしか使われておらず、海外でも日本独自のローカル文化だと紹介されています。 


丁寧な文化だと記事ではコメントされていますけど、自分からしたら皮肉に聞こえない。

他にも見受けられる数々の行動

ツイッターやSNSの登場でさらに深刻化しているケースとしましては……

ソーシャル悪質クレーマー
偏(かたよ)りがあるかもしれませんが、サブカルチャー関連でよく見られます。

まあせっかく楽しんでいるのにできなくなったり、復旧時間が延長されてやり場のない気持ちが沸くのは、一度くらい誰にでもあるでしょう。しかしお詫びは用意されて当然、できて当たり前なんていうお客様は神様姿勢を取っていいものでしょうか?

販売店に来る言いがかりクレーマーもアレですが、顔が見えないからとやりたい放題。ある意味彼らのほうがタチ悪く悪質だと思うことがあります。「悪質クレーマーを嫌いながら、人のことが言えてない」という、こちらもダブルスタンダードの状態へ陥っています。



アニメだったらやたら作画作画と騒ぎ、キャラクターデザインが気に食わないだけで作画崩壊。まるで粗探しのためだけに観て、批判という名の批難をする人もいますよね。批判(建設的批評)と批難(非難:感情的否定)は全く違うのに、違いが分かっていない人が本当に多いですね。

……こういった思い上がった行動の極め付けが、自身の二次創作物や考察こそ真実の展開であり、公式の設定や展開はニセモノだと豪語する人や、二次創作物を公式が後年、偶然似たものを出したら「公式が自分の作品をパクった 」と言い出す人でしょう。

二次創作は元作品に敬意を払い成立するもので、人のフンドシで相撲を取っていることは忘れてはならず、大変おこがましい行為でしかない。



記事に対して
問題行動ではありませんが、思考力の乏しさという意味ではこちらも挙げられます。よくニュース記事のツイートで、

  • 「くだらん」
  • 「どーでもいい」
  • 「興味ないわ」
  • 「誰?」

……と、いちいち書く人がいて、本当に興味なかったらそのまま無視をするのに……って思いますが、様々なサイトを見る限りでは、

  • 読んだのに面白くなかった抗議説
  • 単に「斜に構えてる俺カッコいい」と思ってる痛い人説
  • 自分の言葉で感想を述べる程度の国語力すらない説(おつむが弱い)
  • どうでもいいと思っているけど 実はどうでもよく思っていないツンデレ説
  • 「この記事読んだけど不満しかなかった!」と自己主張したいかまってちゃん説

おおよそは「国語力・読解力がないし議論・討論(ディベート・ディスカッション)能力もない」「感情で考える自己肯定感の低さと承認欲求」といった感じでしょうね。

実社会と同様、不満な部分は具体的に説明しないと改善のしようがありませんし、非生産的で無価値な行為です。実際そういった人の普段の書き込みも、情報発信者の自覚や議論・討論経験が少なく、意見交換の経験が少ないことが察せます。

自称社会派の人たち
まず断っておくと、社会派なツイート自体はあってもいいと考えています。しかしスポーツ応援でもないのに日の丸を掲げ、政治的思想で法律や特定の国に差別・ヘイトなプロフィールや内容の記載。故意犯は置いておき、なぜ日の丸を掲げたがるのか。その一つの要因として考えられる台詞があります。

「自分の能力に自信のない人間が、アメリカ人であることを心の拠り所にすれば、自分の生活に対する不満は当然のように外国人に向かう」


「自分で考えるってのはなかなか大変だからな。誰かに与えられた意見や規範を、そのまま受け入れたほうが楽なのさ」


「国家と自己を同一化すれば自己研鑚(けんさん)は無用となり、米国民というだけで自らを誇れる」

— 『メタルギアライジング リベンジェンス』より —


……まあゲームのセリフですが、実生活では自慢や誇れる特技や技能もなく、実績も持っていないし自己肯定感も低く、コンプレックスのカタマリな悲しい人間ですと、自分から言っているようなもの。それで過激な行動に走っていれば目も当てられない。

こちらも同じく批判・批難と同一視して勘違いしているケースが非常に多く、同一視している人はまさに『半年ROMってろ(ネチケット、ネットリテラシーを身につけるまでは書き込むなの意)』ですね。

ゲームの宗教化
特定のゲーム会社やハードに肩入れし、何かとグラフィック(実機ではなく投稿動画の画質で判断)やスペック、性能差に執着。極め付けは日本のパッケージ販売のみで売れ行きを語る、ゲームよりも宗教戦争が楽しいと思う人たち。そもそも本当にゲームが好きだったら、ハードごと買って楽しんでいるでしょう?

昔は個々が自覚し専用の掲示板(隔離板)で区別されていましたが、いわゆる「ゲハブログ(ゲームハードブログ)」と呼ばれるまとめサイトのせいで、無自覚に拡散する人たちが増えてしまいました。宗教化がいかに不毛かは、海外映画・ドラマは字幕か吹き替えか、車の免許のAT限定・MTで論争する人たちを想像すると理解しやすいかもしれません。

議論・討論のレベル
SNSの討論・議論は本来の意味とは全くかけ離れている有様で、ただのマウント取り(俺が上アピール)な水掛け論・罵倒(ばとう)合戦でしかない。

トンチンカンな意見は無視してもいいですが、有益な意見までも聞く耳持たないのはよろしくありません。経験者なら相手の顔を見て敬意も持つ大切さや、批判・批難は別であると知っていますから、まずSNS上で議論・討論はしない傾向がありますね。

自分も議論・討論経験は威張れるほど豊富ではないですが、少なくともSNSのは、程度が低い言い争いであるのは言えます。

このような人たちをタイプ分けしてみる

……と、ここまで様々な行動・思考を書きましたが、過去のツイートや様々な考察記事から分析すると、

  • 劣等感とコンプレックスのカタマリタイプ
  • 精神的病気・症状を患っているタイプ
  • マウント取りがしたいうっぷん晴らしタイプ
  • いわゆる情報弱者・おつむが弱いタイプ
  • 故意犯タイプ

大まかに分ければ、主にこのパターンが考えられますし、複数持ち合わせている人もいるでしょう。ある意味、彼らは現代が生み出した負の産物と言っても過言ではないのかもしれません。



最後に:SNSそのものは悪ではない

ここまで言っておいてSNSを利用しているのは、ツール自体は便利で素晴らしいから。ツールを否定するつもりは全くなく、ここまで読んでいただいた方にはご理解いただけるでしょうが、

結局はSNSツール自体が問題よりも、使う人間側のほうが問題ということ。

もちろん、導入ハードルの低さや甘さ、アカウント作成が容易すぎるリスクを熟考していなかった企業側の問題はあります。とはいえ包丁を正しく使えば人を喜ばせるが、誤った使い方は人を傷つけるのと同じで、ネット・SNSは、職業や年齢、立場の壁を取り払った社会そのものです。

正しい使い方をしてこそ、SNSは真価を発揮するものであり、必要性を感じていない、リスクがあると思うのであれば、自分の意思を貫いて、「利用しない勇気」を持つのも大切です。

DCアメコミドラマ『フラッシュ』のシーズン4でシスコが「(フシギダネは)めちゃくちゃかわいいんだ!」と言っているの最高に好き。

シーズン2まで「幸せの肉」Tシャツとか、よく分からない日本語Tシャツを着ていて癒やし要素だったのに、物語の展開上仕方がなかったとはいえ、シーズン3前半までのバリー(フラッシュ)との険悪ムードや話が暗すぎたから、その反動もあるかもね。

確かにフシギダネは可愛い。

絵描き・物書き・Webデザイナー・HTML/CSSコーダーの京都生まれなウサギ好き。「ネチケット(ネットマナー)やネット・情報リテラシーの扱い」「批判と批難(非難)の混同・誤用」には少々シビアで、性別問わず好きなタイプは「反省と改善の努力を惜しまない人」。長文や理論を分析し、簡潔に分かりやすくまとめるのが得意なため、リアル・ネットを問わず、各所からご好評をいただいております。