
自分は『批判』を誤用する人には少し厳しい人間ですけれど、少し厳しいからって揚げ足とるようにいちいち指摘しません。
基本的に問題行為でなければ、「この人も正しい批判の意味をわかっていない人かー」と、意見せずに心のなかで残念がって終わります。
ただ、日本だと『批判』という言葉は、
- 「否定・悪口と同じ意味」
- 「非難(批難)の類語」
- 「誹謗(ひぼう)中傷の言い換え」
- 「悪い・ネガティブな印象がある」
このように区別ができずに混同していたり、正しい意味や違いがわからない人が意外に多いのも事実なんですね。
だからこそ、当記事で批判とは本来どんな意味・意義があるのか、なぜ誤用する人が多いのかを、ひとりでも多く知り、考えてもらえれば幸いです。
なお、この記事は正しい日本語指摘問題の分割記事です。こちらの問題についても、あわせて参照していただければと思います。
-
正確な情報を求む
情報に誤りがあればご連絡ください
批判の意味を間違って使う人が多い


批判を正しく
使える人は少ない
相手や対象を評価する姿勢は大きく分け、『批判』と『非難』に分類されます。
そして『批判』の本来の意味と『非難』との違いは、
- 【批判】建設的な批評。『批評』は批判におけるプロセス(過程)をさす。
- 【非難】欠点を責める否定行為。悪質化すると悪口・誹謗中傷・バッシングになる。
オンライン辞書の記述を見ても、『批判』を否定・悪口に扱うものは見当たりません。日本国語大辞典のみ「現代では否定的な意味もある」とただし書きがある程度です。
批判には「リテラシー・論理的思考・エビデンス(論拠)・思いやり」が必要ですが、ネット・SNSのみならず、実社会を見てもわかるように、これらを理解できている人は少ないですよね。
批判(ヒハン)とは|コトバンク
ちゃんと考えてこなかったツケ
ネット・SNSの誹謗中傷や炎上問題を語る専門家やコメンテーターなどは、よくこんなことを言っていると思います。
- 「意見か誹謗中傷かの判断が難しい」
- 「やみくもに制限するのは、言論の自由もありますので……」
これって、「『批判』の本来の意味・意義を、ちゃんと深く考えてこなかったツケであり、結果」とも言えますよね。
意見(批判)と誹謗中傷のボーダーライン(境界線)を引けないのは、『批判』と『批難』を一緒に考え、違いがわからず混同しているからです。
言葉の意味は時代によって変わるといえど、批判は本来の意味で使うべきで、特に社会問題と化した誹謗中傷問題を語るなら、なおさら批判の意味・意義を正しく知らなければなりません。
根拠のない批判は矛盾している
専門家の主張や掲示板のガイドラインなどでよく使われる「根拠のない批判をしてはいけない」も、そもそも意味がおかしいんですね。
『批判』は建設的な批評行為であり、批評にはエビデンスが必要です。そう考えれば、「根拠のない批判」とは矛盾している言葉です。
「根拠のない否定や悪口を言ってはいけない」というニュアンスであることは理解できるとはいえ、「批判すること」と「否定・悪口を言うこと(=批難)」は全く違います。
むしろ、「根拠のない(=中傷)」「否定・悪口(=誹謗)」は文字どおりの誹謗中傷です。

批判と誹謗中傷は同じどころか、意味も役割も正反対に位置する言葉であることを、理解していただきたいですね。
傷つける批判は批判ではない
- 「正しい理由でも、批判は相手を傷つける」
- 「世の中には正しい批判を受け入れられない人だっている」
これもまた、批判を正しく理解していない人による大きな誤解であり、間違いです。
「批判には思いやりが必要」と述べたように、批判すらも受け入れられない精神状態を配慮しなかったり、威圧するかのように言うのはよくありません。
本当の批判とは、言う側も言われる側も、お互いに成長できる機会です。自分の都合を一方的に押しつけるような、相手を傷つける行為は批判ではありません。
正しい批判ができる人は、相手を察してあげる思いやりやブレーキを持ち、言葉をしっかり選びます。

相手のことを配慮せずに、ただのいちゃもんを『批判』と自称する人たちがいるから、「批判はひねくれ者がする、相手を傷つける行為」と誤解されているのは、悩ましい限りです。
非難と批難の違い
なお当サイトでは意図的に『非難』ではなく『批難』と、表記を基本的に統一していて、
- 【揶揄的表現】『批判』を勘違いして都合よく拡大解釈する人の揶揄(やゆ)。
- 【深刻だから】『非難』という言葉では安易に片づけられないから。
こういった個人的解釈で『批難』を用いてします。
批難は造語に近いので、ビジネスの場などでは『非難』を使うのが無難ですから、注意が必要です。
そのぐらい、批判という言葉を正しく使えていない人が多いということだね。

批判を誤用する人は議論・討論ができない


正しい批判ができる
=批評ができる

いろいろと具体的なことを言ったけど、キミのこと自体は全否定しないし、気を悪くしたらごめんね。いいところは伸ばして悪いところは直せるように、今後も頑張ってね。ファイト!
これが『批判』で、自分も相手も成長させる、有意義でプラスになるものです。
上記の文章を見て、
- 「ネガティブな感じなんだな」
- 「相手を責め立てる行為だ」
- 「悪い意味に感じる」
って考える人は、まずいないと思います。
ゆえに個人的な持論で少し極端でしょうけれど、
『批判』の言葉・意義を正しく使えない人は、建設的な議論・討論も批判的思考もできない。

と考えています。
「全員そうに決まっている!」という決めつけではなく、「批判の意味を理解できていないのに、本当に有意義な議論・討論ができるの?」というニュアンスで解釈してください。
正しい批判ができない人の特徴


批判を誤用する人は
言葉選びも思慮も不得手
たとえば、「〇〇のトラブル・不祥事」という、政治や企業に対して問題点を述べる論調があったとします。
しかし二言目には、
- 「さっさとクビにしろ」
- 「責任取らせて辞任させろ」
- 「〇〇はほんま無能」
- 「こんな会社は潰れるべき」
- 「だからこんなクソ企業が〜」
と、問題分析すらせずに結論を出すような、極端なワードが続くのを見かけますし、批判ができない人ほど、失敗を許さず、言葉づかいが悪く言葉選びが苦手です。
意義を理解しないから問題になる
「否定や悪口を言うだけ」「欠点を並べただけ」という、それこそ小学生でもできる内容を『批判』だと思っています。
実際に2022年には、誹謗中傷をした加害者の動機の5割以上は、「自分の意見は正当な批判だと思っていた」という調査結果も発表されています。
- 「なぜそうなのか」
- 「考えられる可能性」
- 「仮説を立てる」
- 「解決の提示をする」
このような『Why思考』をせずに自分の都合のいい意見ばかり聞こうとするし、
- 評論家気取りの人
- 否定だけで改善案を伝えない人
- 無自覚に誹謗中傷をする人
- 政治・社会問題を過激に語る人
- 描写(ポリコレ)に感情的な人
- アンチスレの閲覧が趣味の人
- まとめサイトばかり見ている人
ネットやSNSを少し見ただけでもこういった人たちは多々見かけます。
「否定・悪口こそちゃんとした意見」だと思う人は、正しい批判ができないからそう考えているんですね。

意見される覚悟がない
「正しい批判ができない人」は、自身の主張に意見・指摘された際の言い返しにおいても、
- 「言論の自由だろ」
- 「俺、辛口なんで」
- 「一個人の意見に言われても困る」
- 「賛同・称賛しか認めないのか」
- 「事実を言って何が悪いんだ」
- 「だって〇〇じゃん。はい論破」
このとおり、正しい批判の姿勢ができていないから、感情的に反応したり、無責任な開き直り、中身のない極論や人格攻撃(=誹謗中傷)をしようとします。

〇〇と言っていますけど、あなたこそ〇〇ではないでしょうか
このような反論も、もっともらしいことを言っているようで、実際はマウント(俺が上アピール)をとって自分を守ろうとするパターンが多く、本質的には同じタイプの人がやっています。
「正しい批判の精神がないから、意見される覚悟がない」んですね。

批判ができない人ほど上から目線になりやすい
辛口や社会問題の批評と称したブログ記事も幾度か見かけたことがあり、
- 「馬鹿も休み休み言え」
- 「こんなことを言うアホな連中は〜」
- 「勘違いも甚(はなは)だしい」
- 「愚策でしょ」
たとえ根拠がある内容であっても、上から目線で暴力的・攻撃的な文面を用いて煽(あお)るのは、批判のレベルを下げ、批難になってしまう行為です。
「相手の良否を指摘して後押し」ではなく、「相手の問題点を晒し上げて叩く」ことが目的になっていますからね。
当人たちのプロフィールや日記を見てみると、
- 「非生産的な内容を送りつける業者は晒(さら)します」
- 「私を批判しに来る輩(やから)は、真意を理解できないバカが多い」
- 「ここまで無料公開している厚意に感謝してほしいぐらいだ」
こういった、「自分は常に正しい」と信じるのみならず、「俺はこんなに知識があるんだぜ」とマウントをとって、火に油をそそごうとする姿勢も見え隠れしています。
本当の批判ができる人は思慮深い
「批判をした気になっている人」というのは、自分が正しいと思い込み、異なる意見や価値観を一切許さないか、相手を見下そうとする態度をとります。
本当の批判ができる人は、自分が正しいと思わないし、相手に敬意を持ち、思慮深く謙虚です。

CHECK!
ネット・SNS上での評論・議論行為が嫌われるのは、「批判の本質を理解せず、ただ相手を叩き潰して論破をしたいだけの、評論家を気取る人が多い」のもひとつの要因。自分自身も思慮深くて謙虚かと言われたらまだまだです。ただ、正しい批判ができるような努力は続けていますね。
批判の意味を間違える人は批判リテラシーが低い
ゆえにある意味では、「批判の意味を間違えて使う人は、リテラシー(読解力・収集力・分析力)に問題がある」とも言えます。
そのように考察した人のブログを見ましたけれど、自分もほぼ同意見です。正しく物事を論ずるのであれば、批判リテラシーを高め、批判の本質を正しく理解するのが先です。
なぜ批判と非難の違いがわからない人はリテラシーがないのか|おすすめ情報ブログ
批判は否定でも悪口でもない


混同していたら
自己成長できない
次の例として、『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』という話題になったWebマンガでは、
「一人でも多くの人に知ってほしい 批判は何も産まれない。それどころか、ファンにとって大切な思い出を、ぶち壊すということを。(原文ママ)」
micorun
『批判』の言葉が正しく使えないから、『批判』を「否定・悪口」と同じように使っているんですね。

好きなジャンルの話題で、心ない言葉で水を差すような行為はやめて。好きな人もいるのに、楽しめなくなる。
これが作者の本意であるのは理解できます。
しかし、批判の誤った認識は自分の視野を狭め、第三者からすれば、「自分の価値観を押しつける、相手には同意や願望どおりの意見しか求めない人」と映るだけです。
マンガを読む限り、「そう思うならどうして議論に持ちかけないの?」とか「なぜ自分の『好き』を信じられないの?」と疑念を抱いたけどね。

若い人ほど「批判は悪いこと」と思い込んでいる
最近の若い人ほど、「批判=人格否定・全否定・バッシング行為」といったような、ネガティブなイメージが刷り込まれているようです。
繰り返し伝えているように、批判とは否定や悪口ではありませんし、一緒にするのはおかしな話です。
なぜこのように思い込むのかを考えると、「親や教師などの大人世代も、批判の意味を理解しておらず、若い世代への叱る教育ができていないから」が主な理由ではないでしょうか。
叱る・怒るは批判・批難
叱るとは批判であり、怒ることは批難です。怒る教育はダメですが、叱る教育は必要で、別の言いかたをすれば「正しい批判の教育」です。話がつながっていますよね。
叱ると怒るの違いがわからないのも、正しい批判を理解していないから。

もちろん、若い世代も自主的に学ぶ能動的姿勢は必要です。しかし教育も大切で、大人がこれだと「相手を批判するのは悪いことだ」という認識になり、意見される覚悟も身につきません。
「正しく叱れていますか?」~怒ると叱るの違い~|キャリアアセットマネジ株式会社
批判を誤用して拡散する大人の責任


大人世代が間違えれば
若い世代も間違える
若い世代が間違えて使うのは、大人世代も同じように間違えているからであることは、ここまで読んでいただければ理解していただけると思います。
ライター・専門家、しまいには報道メディアの場合でも、『批判』を悪いことのように解釈したり、誤用する人はよく見かけるものですからね。
「相手を攻撃し、誹謗中傷する人の心理」「否定だけする人の対策」という真面目な記事を書いたり、番組で解説をしておきながら、
- 「攻撃的にすぐ批判する人は〜」
- 「批判ばかりはよくありません」
- 「相手を批判するのは非生産的です」
- 「根拠のない批判はダメです」
- 「批判は相手を傷つけるだけ」
- 「自尊心が低いから批判する」
これは説得力を下げるどころか、
これって高度なギャグ? 批判=否定・悪口? 述べる前に辞書で意味を調べましたか?

ってなりますし、テレビでよく使われる「痛烈に批判」「厳しく批判」という言葉選び・言い回しも、すごく違和感を覚えます。
繰り返すように、こういった「正しい批判ができない・教えられない大人」がネット・SNS・メディア・社会生活を問わずにいるから、下の世代は『批判』をますます勘違いしてしまいます。
批判の解釈は国民性の問題?


日本人は議論下手と
言われるけれど…
この批判という解釈がネガティブ・否定的になってしまうのは、日本人の国民性にも一因があると言われています。
- 「日本人は議論・討論が下手」
- 「日本人は自己主張を恥と見る」
- 「日本人は意見をしない」
- 「日本は多数派に従う文化」
議論や討論の話になれば、上記の内容はよく言われ、これは日本が閉鎖的な島国であり、自然災害が多い気候なのが要因としてあるそうです。
物理的に隔離されて外の価値観が入りにくく、同じ認識・意見であれば統制・団体行動もしやすく、災害は多数派の知恵のほうが生き残りやすいですからね。
意見=敵とみなされる
しかし別の言いかたをすれば、
- 「異なる意見は許さない」
- 「同じ意見ばかり集まる」
- 「同調しか求めない」
- 「周りに従っておけばいい」
ということであり、「物事を推察(すいさつ)する」場面だと、負の側面になっています。
だから日本人は「意見=全否定・敵」と思いがちな人が多いんですね。

失敗を許さず集団で叩こうとする風潮は、全員がそうではないにしろ、日常生活やネット・SNSでもよく見かけるものです。
日本人は欧米人と比べてセロトニン(幸せホルモン)分泌量が少ないため、民族・遺伝子レベルで自己肯定(こうてい)感が低く、ネガティブ気質であるという研究もあるほどです。
必ずしも国民性や遺伝子が絶対的な要因ではありませんけれど、「なぜ正しい批判ができる人が少ないのか」を考える上では、参考のひとつになる情報だと思います。
「遺伝子レベルで自己肯定感が低い日本人」、ポジティブになるにはどうすればいいか|ビジネス+IT
世界で最も不安を感じやすい日本人ー不安を乗り越える方法とは?ー|Katsuiku Academy
フランスは正しい批判ができる国
ちなみに、フランスは議論・討論が活発な国として挙げられ、意見を言わない人は「何も考えていない人」と思われてしまうそうです。
意見と人格は別に考えていますから、『批判』を本来の意味で正しく使えている国だとも言えます。
ゆえに、『批判』という言葉に否定的で悪いイメージを持つのは日本のような、意見に拒絶反応を示したり、主張を積極的にしない、集団主義的な文化圏の国ぐらいです。
2019年をポジティブに生き抜くための哲学③ 日本では意見を主張しにくい? ~活発な議論が行われる国フランスとの違い~|FNNプライムオンライン
なぜ日本人が自分の意見を言えない・持たないのかについて考えてみた|note
日本人が意見を言わないのは当たり前?海外生活から見えた現実|RIKALOG
批判を間違えて使う人が多い原因


日本人も正しい批判を
したほうがいい
以上のように、『批判』を誤用して勘違いする人が多いのは、
- 【解釈の問題】「否定・悪口・誹謗中傷」と混同し、それに疑念を抱かない。
- 【経験不足】議論・討論経験がなく、叱られると全否定だと極端な解釈。
- 【大人の責任】大人が『正しい批判』の教育をしっかりしないから。
- 【言葉の氾濫】著名人・メディアなどが『批判』を軽々しく使ってきたから。
- 【国民性】日本人は議論・討論が下手であるため、正しい批判ができない。
こうまとめることができます。
正しい批判ができる人はトラブル防止のため、『批判』を『正当な批判』『正しい批判』などの書き換えや、英語読みの『クリティカル(クリティカルシンキング)』を使う人も少なくありません。
最後に:批判を誤用する人ほど批判の言葉をよく使う


だから自分は
批判の言葉を多用しない
ここまで、批判の本来の意味や意義を述べていきました。
CHECK!
『批判』を否定・悪口のように扱うなど、著名人や政治家、メディアなどの大人世代は軽々しく使いすぎであり、批判の意義を考えてこなかったツケもまた、炎上やバッシング、誹謗中傷などの形で出る。……ということになります。
不毛な言い争いや悪口・誹謗中傷がなくならないのは、それだけ批判の意味を理解していない、正しい批判ができない(=議論・討論が下手な)人が多いからです。

本来の批判は、
- 【リテラシー】批判の意義や目的を理解し、
- 【論理的思考】建設的かつ冷静に思考し、
- 【エビデンス】ちゃんと根拠を提示し、
- 【思いやり】相手の敬意と配慮を忘れない。
これが全部できてはじめて成立し、この4つのどれかが欠けた時点で批判ではありません。
辞書で『批判』を調べると出てくる「批評する・欠点を指摘し改善を促す」とは、上記4つが全部できているのが大前提で、正しい批判ができる人はこれらができています。
批判を否定や悪口・誹謗中傷の類語と扱う人は、
失礼ながら、批判の意味をまず辞書で調べません?

となりますし、彼らに「批判の正確な定義は?」と質問して、明確に答えられる人は少ないでしょう。
だから議論・討論が下手と言われる
一方的に否定や悪口を言う、いちゃもんをつける、欠点を並べて責め立てて相手を叩き潰し、論破をするさまを『批判』と称する今の現状で、どうやって建設的な話し合いができるのでしょうか。
それができていないから、批判を否定や悪口と同じだと思ったり、意見を求められれば人格否定をして、自分に向けられた指摘・意見に聞く耳を持ちません。
この「批判リテラシーの低い人」があまりにも目立つのは問題で、批判って言葉は本来、軽々しくポンポン使う単語ではなく、ネガティブな意味でもないことは、知ってもらいたいですね。
「日本人は議論・討論が下手」と言われるのはそういうところです。

批判という言葉や意義を間違って使う人が多数派でいる限り、本質を見た議論・討論の実現なんて先の話です。
批判は成長の機会
正しい批判は相手のみならず、自身も人間性・価値をより高める貴重な機会になります。

正しい批判ができる人ほど、批判という言葉を多用せず、本質を見定めていて思慮深いです。
批判を正しく使うのは大人の責務であり、ひとりでも正しく使う人が多くなれば、 上記のようなモラルの低い行動も減り、真の意味での「健全な言論空間」がうまれるのではないでしょうか?

寄付のお願い

ございます
-
当サイトはみなさまのご支援により、広告なしの実現やサイト維持をおこなっています。
記事や作品が気に入りましたら、支援サイトのご支援や寄付のご検討をよろしくお願いいたします。