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この記事は京都人だとあまりいい気がしない内容ですが、本音と建前の部分は否定しません(「ぶぶ漬けでも」という言葉があるぐらいですし)。京都って都会の皮をかぶった田舎ですし、限界集落のような隣人との密着性はないにしろ、よそ者には排他(はいた)的な部分は少なからずあるでしょう。

とはいえ、京都人全員が本音と建前があって怖いだとか、プライドと自尊心が高く、陰湿で排他的とは思わないで欲しいなとは思います。

自分で言うのもアレですが、京都人だけど「意見がある場合は建前ではなく本音でちゃんと話せ」と思っていますし、京都に住んでるからって古都に対する帰属意識も自負心もありません。他府県に移り住むなら戸惑いなく移り住みます。

……それでは、このような県民性の問題について、少し述べていきましょう。県民性の決めつけを大衆娯楽にして助長した『秘密のケンミンSHOW』をはじめとする、多くのメディアや書籍の罪は重い。

これは一個人の意見です

他の様々な意見・視点も取り入れてください。


県民性で決めつけるのは『認知バイアス』

県民のステレオタイプや、それに近い血液型性格の話題も、飲み会や談笑のネタとして使うのであればまったく問題ないものです。しかし、それを根拠に誰かをけなし、一括(くく)りにして在住者をバッシングや誹謗(ひぼう)中傷、人格否定する人を見ると、悲しさを通り越して哀れに見えてしまいます。

これは心理学用語でいう『認知バイアス』と呼ばれる心理現象で説明され、

  1. 「京都の人ってなんか本音と建前を強く感じる(あくまでも主観的)」
  2. 京都人は本音と建前を使い分ける県民性だと書いてある
  3. 「ほら! やっぱり京都府民はみんな、こんな人たちばっかなんだ!」

こういった、偏見(へんけん)や先入観でレッテル貼りし、すべてを決めつける極端で短絡的な行動が、認知バイアスというものです。

県民性なんてあくまでも傾向しかなく、京都人でも建前や陰湿さを嫌う人、他府県国外関係なく優しく接する腰が低い人、ポジティブで明るい人だっているのに、一部分だけですべてを決めつけますからね。

自分も中高年や高齢者、精神障害や発達障害(疑惑)の人には厳しい態度をとる場合がありますが、すべての該当者を邪険(じゃけん)には扱いません。

厳しい態度をとるのには、「悪意なき迷惑行為や傷つける行動を、開き直るし反省・改善の意味が分からない人が目立つ。事実、当事者たちの悪意なき被害を数多く受けたから」という理由がありますけど、同時に「彼らの中にもその実情を認め、日々改善や努力を頑張る人、誠実さがある人がいるのも知っている」からです。

だからこそ、ひとまとめに全否定するのは間違いであり、そういった悪意ある偏見やレッテル貼りをする人はある意味、自分から「私は視野が狭く、思考力がない極端な考えのおバカです」と、カミングアウトしているようなものなんですね。

少し考えれば分かること

ステレオタイプ抜きで冷静に考えてみてください。

  • 「関西人は全員、納豆が嫌いだと本気で思うのか?」
  • 「大阪人は全員、ヤクザ気質で商売や値引きが上手か?」
  • 「東京都民は全員、物事に冷たく無関心で江戸っ子気質か?」

少し考えれば、重ねるように県民性(地域性)はあくまでも「傾向」でしかなく、すべてではありません。

だって、その地域に住む人全員が同じ性格・気質ってただのホラーですし、意見も割れないからトラブルなんて起こさないでしょう。先に述べた、京都人全員が本音と建前ばかりの陰湿な県民性なら、まず会社は成り立たないだろうと冷静に考えれば分かることです。

さらにスケールを上げて考えれば、

  • 日本人は全員、礼儀正しくて謙虚か?
  • 日本人は全員、陰湿でネット・SNS上で誹謗(ひぼう)中傷しあっているのか?
  • 日本人は全員、ゴミ出しルールなどの生活マナーを守って思いやりある生活を送っているのか?

……そんなワケないですよね。つまり県民性や血液型で傾向判断して決めつける自体、論理が破綻(はたん)しています。

最後に:あくまで飲み会や談笑のネタで使うべき


県民性だけで人を判断し、そこに住む人たちを全否定するのは、あまりにも軽率かつ思慮が浅い行動であり、心理学でいうところの認知バイアスの思考に囚われています。

人の性格というのは、生まれ持った先天性のものから、親の性格や幼少期の環境などで後天的に形成されるものであり、県民性はあくまでも傾向でしかなく、血液型性格診断と変わらない根拠のない疑似科学です(なお血液型性格診断は統計で否定されていて、そもそも日本と一部のアジア地域にしか存在しません)。

これらは飲み会や談笑のネタに使うべき話題で、「県民性や血液型性格診断を信じる奴はバカ」ではなく、「これらはお互いに本気ではない遊びでするものであって、人をレッテル貼りしたり、叩いてけなすものではない」ということですね。

座間殺害事件の犯人を擁護するつもりはないと前置きした上で、「被害者の両親は犯人に責任転嫁していないか」って、ニュースを見てそう思ったね。

SNSというオープンな場所で、自殺願望や生の気力がない書き込みをするって異常な状態。そんな人の家庭が健全に機能しているとは思えない。結果論だけど、家庭環境がしっかりしていれば、SNSにそんな書き込みすらしなかったはず。

自殺原因をしっかりと向き合わず、「自死」表記にこだわる遺族の問題と似通っているんだよね。犯人の行動は許されないし推測でしかないけど、両親の完全被害者みたいな態度は違和感がある。

絵描き・物書き・デザイナー・HTML/CSSコーダーの京都生まれなウサギ好き。「ネチケット(ネットマナー)やネット・情報リテラシーの扱い」「批判と批難(非難)の混同・誤用」には少々シビアで、性別問わず好きなタイプは「反省と改善の努力を惜しまない人」。長文や理論を分析し、簡潔に分かりやすくまとめるのが得意なため、リアル・ネットを問わず、各所からご好評をいただいております。