
自分は『批判』を誤用・本質に目を向けない人には少し厳しい人間ですけれど、少し厳しいからって揚げ足とるようにいちいち指摘しません。
基本的に問題行為でなければ、
この人も正しい批判の意味をわかっていない人かー

そう意見せず心のなかで残念がって終わるものの、日本だと批判という言葉・意義は、
- 叩き・悪口と同じ意味
- 非難(批難)の類語
- 誹謗(ひぼう)中傷の言い換え
- 悪い・ネガティブな印象
このように区別ができずに混同していたり、正しい意味や違いがわからない人が意外に多いのも事実なんですね。
「9割が」って書いているけど統計をとったわけじゃない。そのぐらい批判の本質を理解せず誤用する人が多いという話。

だからこそ当記事では、
- 批判の本来の意味と本質
- 批判を誤用する人が多い理由
- 意見される覚悟について
こちらについて述べ、批判の言葉そのものより、批判という行為の本質・意義を考えるほうが、この記事で伝えたいことであり、ひとりでも多く知り、考えてもらえれば幸いです。
『批判』のマナー講師・言葉狩りをしたいわけじゃないからね。その先の本質・意義の話。

なおこの記事は正しい日本語指摘問題の分割記事です。こちらの問題についても、あわせて参照していただければと思います。

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批判を悪い意味で使う人が多い

相手や対象を評価する姿勢は大きく分け、『批判』と『非難』に分類されます。
そして『批判』の本来の意味と『非難』との違いは、
- 【批判】論理的な批評。『批評』は批判におけるプロセス(過程)をさす。
- 【非難】欠点を責める否定行為。悪質化すると悪口・バッシング・誹謗中傷になる。
オンライン辞書の記述を見ても、批判を叩き・悪口に扱うものは見当たりません。日本国語大辞典のみ「現代では否定的な意味もある」とただし書きがある程度です。
漢字も『批(品定め)』をして『判(見分け)』ると書きますからね。

どこをどう読んだら他者を叩いたり、攻撃する要素があるのかと問いたいし説明してほしい。

批判(ヒハン)とは|コトバンク
批判に必要な4つのポイント
批判という行為には、
- リテラシー
- 論理的思考
- エビデンス(論拠)
- 思いやり
この4つが必要で、ネット・SNSのみならず、実社会を見てもわかるように、これらを理解できている人は少ないですよね。
とにかく今の日本では、批判を悪い意味で使うものと勘違いしている人が多数派です。
批判の本来の使いかた

いろいろ言ったけどキミを全否定しないし、気を悪くしたらごめんね。長所は伸ばして欠点は直せるように頑張れ。ファイト!
これが批判で、自身も成長させる有意義でプラスになるものですし、

相手を責め立てるネガティブな行為だ。

悪い意味に感じてしまう。
上記を見てこう考える人は、まずいないでしょう。
正しい批判のモデルケース
以下の記事は、疑似科学本と言われる『水からの伝言(江本勝 著)』を、批判を本来の使いかたで説明している秀逸(しゅういつ)な内容で、上記4点がすべて含まれていることがわかります。
「水からの伝言」を信じないでください|田崎晴明
この内容自体も科学的反証の観点から一部で賛否あったようですが、批判は本来、どういう姿勢をとるべきかという意味では、とてもわかりやすいので参考にしてもらえれば幸いです。
批判をするとは、このぐらいの姿勢と覚悟でやらないといけないということですね。

ちゃんと考えてこなかったツケ
上記の動画でも、本来の批判とは何かをしっかり問いているので、参考にしてもらえればと。

ネット・SNSの誹謗中傷や炎上問題を語る専門家やコメンテーターなどは、よくこんなことを言っていると思います。

意見か誹謗中傷かの判断が難しいので、まずは考えないと……

やみくもに制限するのは、言論の自由もありますので……
これって、「批判の本来の意味・意義・本質を、ちゃんと深く考えてこなかったツケであり、結果」とも言えます。
意見(批判)と誹謗中傷のボーダーライン(境界線)を引けないのは、批判と批難を一緒に考え、違いがわからず混同しているからです。
批判の最終地点は「双方の理解・成長」です。それをするから批判は大切で、誹謗中傷の目的は「価値観の強要・自己満足」です。ここを見ても批判と誹謗中傷は別物とわかりますよね。
言葉の意味は時代によって変わるといえど、誹謗中傷問題を本当に考えていくなら、批判の定義を見直すことが第一歩。

根拠のない批判は矛盾している

内容に対して根拠のない批判をしてはいけません。
専門家の主張や掲示板のガイドラインなどでよく使われるこの言い回しって、そもそも意味がおかしいんですね。
「根拠のない叩きや悪口を言ってはいけない」というニュアンスであることは理解できるとはいえ、批判は論理的な批評行為です。そう考えれば「根拠のない批判」とは矛盾している言葉です。
むしろ、「根拠のない(=中傷)」「叩き・悪口(=誹謗)」は文字どおりの誹謗中傷です。

傷つける批判は批判ではない

正しい理由でも、批判は相手を傷つけるものだ。

世の中には正当な批判を受け入れられない人だっている。
これもまた、批判を正しく理解していない人による大きな誤解であり、間違いです。
「批判には思いやりが必要」と述べたように、是正を言うなら相手を考える気持ちは大切です。批判を受け入れられない精神状態を配慮せず、威圧するかのように言うのもよくありません。
ここの話はこちらの図解・記述が大変わかりやすいので、参照いただければと思います。
本当の批判とは、言う側も言われる側も成長できる機会です。自分の都合を一方的に押しつけるような、相手を傷つける行為は批判ではありません。
正しい批判ができる人は、相手を察する思いやりやブレーキを持ち、言葉をしっかり選びます。

非難と批難の違い
なお当サイトでは意図的に『非難』ではなく『批難』と、表記を基本的に統一していて、
- 【揶揄的表現】『批判』を勘違いして都合よく拡大解釈する人の揶揄(やゆ)。
- 【再定義】『批(品定め)』をして『難(受け入れない)』と定義。
こういった個人的解釈で『批難』を用いているんですね。
批難は造語に近いので、ビジネスの場などでは非難を使うのが無難ですから、注意が必要です。
そのぐらい批判を正しく使えない人が多いんだよね。自分なら「バッシング・文句・いちゃもん・叩き」などに言い換えるよ。

正しい批判ができない人の特徴

批判の言葉・意義を正しく使えない人は、論理的な議論・討論も批判的思考もできない。

ゆえに個人的な持論で少し極端でしょうけれどこう考えていて、「全員そうだろ!」ではなく、「批判の本質を理解しないで有意義な議論・討論ができるのか」のニュアンスで解釈してください。
批判ができない人は極端で言葉づかいも悪く攻撃的
たとえば「〇〇のトラブル・不祥事」と、政治や企業に問題点を述べる論調があったとします。
しかし二言目には、

さっさとクビにしろ!

〇〇はほんま無能。責任取らせて辞任させろ!

こんな会社はつぶれるべきだ。

だからこんなクソ企業が〜
このように極端なワードが続くのを見かけ、極論好きで失敗を許さないし攻撃的です。
「主語が大きい」「どっちもどっち」といった言葉も使いがちで、正しい批判ができる人であればまずそんな言葉は多用しません。なぜなら意見・議論が止まるからです。
意見に同意・認めてほしいだけ

あんたの考えは間違っている。

↑いやいやちゃんと読んだ? キミこそ大間違いだろ。
質問サイトでも長文を書き、次第に口喧嘩になってあおり、喧嘩腰な揚げ足とりや人格否定に走る光景を見た人もいるでしょう。
結局は「私が正しいか確認したい・私の意見を認めて」も批判だと思い込んでいるため、「相手に非があれば何をしてもいい」「意見と人格を混同する」という発想になりがちなんですね。
「質問じゃなく、ただ同意がほしい・支持者がほしいだけ」な人たちなんだよね。質問サイトって、支持者募集サイトなのかな?

論点をすり替えて本質を見ない

週刊誌や新聞だって同じことやってるじゃないか!
ネット・SNSユーザーのモラルの問題がニュースや記事などで述べられると、メディアの話を持ち出して論点をすり替え、喧嘩両成敗みたいなことを言い出す人はよく見かけるものです。
批判リテラシーの低い人は、「その事実を受け止め、問題の定義は何か、なぜ発生するのか、だったらどうしていくのがベストか」というロジカルシンキング(論理的思考)ができません。
このスジ違い反論の件は、普段からそういうことをしているから後ろめたいのかもね。

意義を理解しないから問題になる
「叩きや悪口を言うだけ」「欠点を並べただけ」という、それこそ小学生でもできる内容を批判だと思っています。
実際に2022年には、誹謗中傷をした加害者の動機の5割以上は、「自分の意見は正当な批判だと思っていた」という調査結果も発表されています。
- 評論家気取りの人
- 否定だけで改善案を伝えない人
- 無自覚に誹謗中傷をする人
- 政治・社会問題を過激に語る人
- 描写(ポリコレ)に感情的な人
- アンチスレの閲覧が趣味の人
- まとめサイトばかり見ている人
ネットやSNSを少し見ただけでもこういった人たちは多々見かけますし、批判の意義を理解できないんですね。その状態でどうやって本質を見るのか、逆に伺ってみたいものです。
「叩き・悪口こそちゃんとした意見」だと思う人は、正しい批判ができないからそう考えるんですね。

法律を持ち出して「お前は間違っている」と言う人も答えありきで語っていて、本質を見ないよね。

意見される覚悟とは


意見される覚悟
=意見に責任を持つ
- 【意見される覚悟】(匿名・本名関係なく)自分の意見に責任を持つ姿勢・礼儀。

賛同・称賛しか認めないのか。事実を言って何が悪いんだ。

勘違いも甚(はなは)だしいし一個人の意見に言われても困るわ。俺そもそも辛口なんで。

俺のアンチがなんか言ってるけど〇〇は事実じゃんw はい論破w
正しい批判ができない人は、自身の主張に意見・指摘された際の言い返しでも、感情的に反応したり、無責任な開き直り、中身のない極論や人格攻撃(=誹謗中傷)をしようとします。

ご気分を害して申し訳ありません。問題なら記事は削除します。
上記のような反発・開き直り行為ではなくても、他者をバッシングする内容を書きながら、指摘・反論されると逃げ腰で保身的になる人たちは何度も見てきました。
正しい批判ができない、意見される覚悟がないなら、情報発信をすべきではないでしょう。
「匿名じゃなく本名で言うのが、意見される覚悟だ」と主張する人がいますよね。

当記事の定義では「自分の意見に責任を持つ」ことであり、匿名や本名かどうかは関係ないよ。

オウム返しする人も同じ

〇〇と言いますけど、そういうあなたこそ〇〇ではないですか?

その言葉、あなたにそっくりそのままお返しします。
このような反論や中立気取りをするタイプもそうで、自分を守ろうとしている、本質的には同じタイプの人がやっているんですね。
「私に意見される覚悟がありません=正しい批判ができません」と自己紹介しているようなもので、できる人はそんな反論をしません。
意見されてパニックになっているのだろうと察しますが、このような返しかたは心証が悪くなるのでNGです。

批判は叩きでも悪口でもない


混同していたら
自己成長できない
次の例として、『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』という話題になったWebマンガでは、
「一人でも多くの人に知ってほしい 批判は何も産まれない。それどころか、ファンにとって大切な思い出を、ぶち壊すということを」(原文ママ)
micorun
批判の本質を理解していないから、「叩き・悪口」と同じように使っているんですね。

好きなジャンルの話題で、心ない言葉で水を差すような行為はやめて。好きな人もいるのに、楽しめなくなる。
これが作者の本意であるのは理解できます。
しかし、批判の誤った認識は自分の視野を狭め、第三者からすれば「自分の価値観を押しつける、相手には同意や願望どおりの意見しか求めない、リテラシーの低い人」と映るだけです。
マンガを読む限り、「そう思うならなぜ議論に持ちかけないの?」「なぜ自分の『好き』を信じられないの?」と疑念を抱いたけどね。

なぜ批判と非難の違いがわからない人はリテラシーがないのか|おすすめ情報ブログ
叱る・怒るは批判・批難
叱るとは批判であり、怒ることは批難です。怒る教育はダメですが、叱る教育は必要で、別の言いかたをすれば「正しい批判の教育」です。話がつながっていますよね。
若い世代も自主的に学ぶ姿勢は必要ですけれど、大人がこれだと若い世代は、

相手を批判するのは悪いことなんだ……
こういう間違った認識になってしまい、論理的思考も身につきません。
叱ると怒るの違いがわからないのも、正しい批判を理解していないからだよね。

「正しく叱れていますか?」~怒ると叱るの違い~|キャリアアセットマネジ株式会社
批判を誤用する大人の責任


大人世代が間違えれば
若い世代も間違える

批判ばかりはよくありません。攻撃的にすぐ批判する人は〜

根拠のない批判ばかりするのは、その人の自尊心が低いからです。

否定的な人の非生産的な批判は無視すべきだ。
えーっとすみません。まず『批判』の意味を辞書で調べてから申されていますか?

「誹謗中傷する人の心理」「否定ばかりの人の対策」という真面目な記事を書いたり、番組で解説しながら、こんなことを平然と書くんですね。
- 痛烈に批判
- 過度な批判
- 厳しく批判
- 批判覚悟
彼らが使いがちなこの言葉選び・言い回しにも、すごく違和感を覚えます。なぜ『批難』ではなく『批判』という表現をあえて選んでいるのか、その理由・根拠を彼らに問いたいですね。
自分からすれば失礼ながら、高度なギャグを言っているようにしか見えません。これを高学歴の人や経営者・専門家・報道メディアまで使っているんですから、悩ましい限りです。
正しい言い回しが必要な世界でこの矛盾が問題ないなら、「日本は批判リテラシーの低い国」と認めているのと同じ。

批判の解釈は国民性の問題?


日本人は議論・討論下手と
言われるけれど…
この批判という解釈がネガティブ・否定的になってしまうのは、日本人の国民性にも一因があると言われています。
- 日本人は議論・討論が下手
- 日本人は自己主張を恥と見る
- 日本人は意見をしない
- 日本は多数派に従う文化
議論や討論の話になれば上記の内容はよく言われ、これは日本が閉鎖的な島国・農耕民族であり、自然災害も多いから「考えず周りに従う」という生存戦略の結果としてあるそうです。
日本人は欧米人と比べてセロトニン(幸せホルモン)分泌量が少ないため、上述した理由から民族・遺伝子レベルで自己肯定(こうてい)感が低くネガティブ気質という研究もあるほどです。
必ずしも国民性や遺伝子が絶対的な要因ではありませんけれど、「なぜ正しい批判ができる人が少ないのか」を考える上では、参考のひとつになる情報だと思います。
ほかにも日本の減点方式教育で、完璧主義的でミスを許さず、揚げ足とりやあら探しをするのも要因と考えられます。

『ロジハラ(ロジックハラスメント)』なんて言葉もさ、言う側・言われる側も批判リテラシーの低さを表す鏡じゃないかな?

なぜ日本人は自己主張しないのか|生きづらふ
なぜ日本人が自分の意見を言えない・持たないのかについて考えてみた|note
「遺伝子レベルで自己肯定感が低い日本人」、ポジティブになるにはどうすればいいか|ビジネス+IT
世界で最も不安を感じやすい日本人ー不安を乗り越える方法とは?ー(リンク切れ)|Katsuiku Academy
最後に:批判を誤用する人ほど批判の言葉をよく使う


批判批判言う人ほど
批判の本質を理解しない
ここまで、批判の本来の意味や意義・本質を述べていきました。
CHECK!
批判を叩き・悪口のように扱うなど、日本人は批判の意義・本質を考えていない。議論・討論下手、炎上・バッシング・誹謗中傷の問題点は、批判の本質を無視したツケ。……ということになりますし、意味がよく理解できないのであれば、「叱るのは批判(=生産的)で、怒るのは批難(=非生産的)」という感じで捉えるとわかりやすいかもしれません。
不毛な言い争いや悪口・誹謗中傷がなくならないのは、批判を理解しない、正しい批判ができない人が多いからです。

批判が成立する最低条件
本来の批判は、
- 【リテラシー】批判の意義や目的を理解し、
- 【論理的思考】冷静に本質を思考し、
- 【エビデンス】ちゃんと根拠を提示し、
- 【思いやり】敬意と配慮を忘れない。
これが全部できてはじめて成立し、この4つのどれかが欠けた時点で批判ではありません。
批判を叩き・悪口を含めた批難や、誹謗中傷の同義語・類語かのように扱う人は、
失礼ながら、まず辞書で調べません? 『批(品定め)』と『判(見分け)』のどこに、相手を叩く要素があるんですか?

となりますし、彼らに「批判の正確な定義と、批難との本質的な違いを明確に説明できますか?」と質問して、明確に答えられる人は少ないでしょう。
「批判覚悟」とか「痛烈批判」とか、意味・意義を理解していれば意味不明な言い回しが市民権を得ているからね。

だから議論・討論が下手と言われてしまう
一方的に叩きや悪口を言う、いちゃもんをつける、欠点を並べて責め立てて相手を叩きつぶし、論破をするさまを批判と称する今の現状で、どうやって建設的な話し合いができるのでしょうか。
日本人が議論・討論が下手なのは、批判の意味・目的を誤用する人が多数派な時点で、ある意味答えが出ているとも言えるでしょう。
「日本人のレビューは批判ばかり」と言う人がいるけど、「批判の本質を見ない時点で、他人のこと言えないよ」と思う。

意見される覚悟
実際、批難と混同して批判を誤用する人の議論・討論と思わしきものを見ると、
- 【ただの批難】誰かや何かのいちゃもんや揚げ足とりばかりやっている。
- 【潔癖気質】相手に非があれば何を言ってもいいという、極端な潔癖思考。
- 【罵倒行為】「読解力ないですね、頭大丈夫?」と、次第に人格否定へと変わる。
- 【押しつけ】相手の主張を思案せず、ただ自分の主張を押しつけになっている。
- 【不毛なやりとり】無駄に長い長文と、長丁場な平行線合戦が繰り広げる。
- 【吐き捨て】話の決着方法が「バカには付き合えない」と吐き捨てる。
- 【礼節に欠く】「ありがとう」「ごめんなさい」を言わない。
批判の意義がわかっていないから、非生産的で不毛な喧嘩合戦(レスバ)が起きるんですね。ただの「私の意見が正しい・主張したい」合戦です。
意見される覚悟とは匿名・本名関係なく、自省と自己研鑽の心を持つことです。
批判を誤用する記事やコメント・動画で役に立ったことはほぼない。なぜなら根底の本質を見ていない表面的な内容が多いから。

誤用する人ほど本質を見ない
批判って言葉は本来、軽々しく使う単語ではなく悪い意味でもないことは知ってもらいたいですし、間違う・意義を理解しない人が多数派な限り、本質を見た議論・討論の実現は先の話です。
個人的目安として、批判リテラシーが低い人ほど批判の言葉を誤用したまま多用するのを好む傾向にあるため、「本質を探求しない人」を見分ける指標にもなります。
繰り返すように、「日本人は議論・討論が下手」と言われるのはそういう部分です。

批判は成長の機会
正しい批判ができる人ほど批判という言葉を多用せず、批難とも混同しません。ゆえに批判から導き出された物事の本質を見定めていて、思慮深い人が多いんですね。
批判を正しく使うのは大人の責務であり、ひとりでも多く批判から物事の本質を学ぶようになっていけば、真の意味での「健全な言論空間」がうまれるのではないでしょうか?
正しい批判は相手のみならず、自身も人間性・価値をより高める貴重な機会になります。




