人間関係の悩みや現実問題の話になると出てくるのが、「綺麗事の問題」です。
綺麗事を肯定したり悪いと思わない人の中には、綺麗事を否定する人に対し、
- 「綺麗事の何が悪い? 」
- 「べつに迷惑かけてないじゃん」
- 「ひねくれてるだけでしょ」
- 「正直面倒くさい人だと思う」
みたいな意見も見られます。
さまざまな意見はあることは前置きしつつも、
- 綺麗事の定義
- 綺麗事を嫌う人がいる理由
- 綺麗事の問題点と本質
綺麗事とは相手にとってどう見えている、感じる可能性があるのかを、この記事を参考のひとつにしていただければ幸いです。
個人の見解です
ほかの意見もご参照ください
綺麗事の定義
ここの定義を
分けられない人が多い
当記事で『綺麗事』を定義しておくと、
- 【綺麗事】表面上は立派でも、現実や実情を見ていない絵空事。
- 【綺麗事】問題に直面する人へ、中身のない理想論で諭す行為。
- 【綺麗事】誰かに吹聴せず、叶えたい理想として心に掲げる意識。
上記を意味として、この記事で問題提起するのは「1」と「2」の行為になります。
「綺麗事を悪いとは思えない」と言う人ほど、ごっちゃにして語る(=本質を見ない)人が多い。
この記事を書くに至った背景
綺麗事を嫌う人がいる理由
この記事に関しては公開後、さまざまな意見が寄せられました。
しかし中には、
言いたいことも言えない世の中にするつもりですか?
と、極端なコメントを書く人がいましたので、なぜこの記事を書いたかを説明しておきます。
記事ではそう書いていないし綺麗事を前提定義しているし、綺麗事を全否定していないんだけどなぁ。大事なところをなぜ読み飛ばしたんだろう?
記事を読めば察せるとおり、
- 自身が綺麗事に振り回され、周りも綺麗事で精神を病む人が数多くいた。
- ネット・SNSで綺麗事で苦しむ人たちが可視化、メディアでも取り上げられる。
- それでもなお人生の先輩風を吹かせ、綺麗事で論破を気取る人が未だ多い。
- 「綺麗事を嫌う人がいる理由」の疑問・見解と、無責任な綺麗事への問題提起。
流れでいえば、このような背景があるんですね。
いい綺麗事と悪い綺麗事がある
冒頭で述べたように、
- 理想として思う(掲げる)綺麗事
- 事情を考えず吹聴する綺麗事
同じ言葉でも意味合いが異なることを、前提定義として理解しなければなりません。
先ほどの極端な反論をした人は、ここの定義を分けられず、読み飛ばしているんですね。
綺麗事を言う人が嫌われる理由
文字は「綺麗」なのにね
Googleのサジェスト(検索予測)で「綺麗事」を入力すると、
- 綺麗事 嫌い
- 綺麗事 無責任
- 綺麗事 うんざり
この言葉が真っ先に出てきたり、関連項目でもこのワードが続きます(2021年現在)。
なぜ世の中には、このような現実や当事者を見ない無責任な理想論を並べ立てる人がいるのか。自身の経験やさまざまなサイト様の個人的見解などを集約すると、
- 【自己愛が強い】プライドが高く、自分に酔っている。
- 【虚栄心】人生の見本、いい人間だと世間に思われたいから。
- 【現実や実情を知らない】未体験や恵まれた環境だから理解できない。
- 【疑問を持たない】世の中の普通や常識を疑えない。
- 【保守思想】悪習でも伝統や慣習は変えるべきではないと思っている。
- 【大人の都合】スポンサーや事務所の配慮、支持者集め目的など。
……と、以上の傾向が目立ち、
- 世間から模範的でいい人間と思われたい
- 普通や常識などを疑ったことがない
その中でも特に、このような考えの人が多く見受けられます。
思考を停止して用意された答えに疑わないHow思考なんだよね。原因の探求(Why)ではなく正解に従う、日本の学校教育の弊害。
綺麗事ばかり言う人は「いい人」ではない
要は、綺麗事ばかり言う人って「いい人」ではなく「いい人ぶる人」であり、物事を多角的に考えられない「痛みを見ない(痛みを想像できない)」人です。
こちらの記事と同意見で、「いい人」は厳しくも優しく、本当に相手のことを考えて言動には責任を持ちます。しかし「いい人ぶる人」は相手の事情を無視するし、言動も無責任です。
悪意がなく無自覚という点でも、綺麗事ばかり言う人は周りから嫌われてしまうんですね。
“いい人”と“いい人ぶってる人”の見分け方【DJあおいの「働く人を応援します!」】|タウンワークマガジン
綺麗事はなぜいけないのか
綺麗事の具体例
(ちょっと長いよ)
さて、実生活(日本)やネット・SNS上で見かける、
- 「親・高齢者は感謝して敬え」
- 「非常識な奴はどの世代にもいる」
- 「障害者には優しくしよう」
- 「不寛容社会だから思いやりを持とう」
- 「その意見(表現)は差別的です」
- 「努力をすれば夢は必ず叶う」
- 「いじめ根絶! なくそう!」
- 「武力を捨てて話し合うべき」
これらの綺麗事について、ひとつずつ考えていきましょう。
「親・高齢者は感謝して敬え」
親や高齢者は感謝して敬うのが当たり前だ。
素直に尊敬できる人であればいいけど、年上だから無条件に偉いというのは現代では通用しない。
上の者を敬えという概念は、
- 儒教の教えによるもの説
- 社会生活で生まれた自然発生説
があるらしいとはいえ、年長世代が勤勉な人格者とは限りません。
今となっては老害(迷惑高齢者)・毒親(親ガチャ)・DV(家庭内暴力)の報道は珍しくなく、取り上げられるのは氷山の一角です。
20歳未満の者の構成比は,元年は52.9%(16万5,686人),15年は38.3%(14万5,448人)だったのに対し,30年は,11.6%(2万3,970人)にとどまり,20歳未満の若年齢層の比率の低下が進んでいる。
他方,65歳以上の高齢者の構成比は,元年には2.1%(6,625人),15年には7.8%(2万9,804人)だったのに対し,30年は21.7%(4万4,767人)を占めており,検挙人員に占める高齢者の比率の上昇が進んでいる。
令和元年版 犯罪白書
DV検挙数が10倍超、犯罪白書 平成30年余、児童虐待も増|MSNニュース
立派じゃない大人も敬うべきか?
素直に感謝や尊敬できる「素晴らしい人」であれば、それに越したことはありません。
しかし世の中では「親だから偉い」や「年配だから敬え」と、根拠のないエビデンス(論拠)で見る風潮が強いです。
実際、上記の問題に直面した人、満足な家庭環境ではない人が親・高齢者に否定的なことを語ると、「この親不孝者!」「高齢者差別だ!」と言われてしまいますからね。
感謝や尊敬は強要するものではなく、自身の中に湧くものです。
偏(かたよ)った見方で「親を大切にしない人が増えている」「高齢者を嫌う社会」と持論展開する人・支持者は、実情を見ないし聞く耳も持ちません。
中には若気の至りで「ワガママなだけの甘ちゃん」もいるでしょうけれど、そういった人は今の時代、決して多数派ではありません。
「非常識な奴はどの世代にもいる」
人それぞれだし、そういう人は昔から非常識。キミもいずれはその世代になるのを忘れずに。
もしかして接客業未経験ですか? 体験すればこの問題がいかに闇深く、脳科学的にも一筋縄ではないのかを痛感しますよ。
中高年・高齢者の悪質クレーマー問題や、迷惑行為の話題でよく見かけ、上記のように立場の中立を気取り、人生の先輩風を吹かせますよね。
これは「ネット・SNSの誹謗(ひぼう)中傷は依存症なのか? 」の議題でもそうで、本来の「人それぞれ」は前提の言葉なのに、結論目的で使うことにも違和感を覚えます。
それで「人それぞれでしょ」とあざ笑って中立気取りで人生の先輩風を吹かせるのは、ある意味一番悪質だと思うね。
病気や老化の症状を甘く見ている
中高年・高齢者の場合は元から性格が悪いのではなく、脳の老化や病気、認知症なども要因であることとは、脳科学的に証明されています。
経験するとわかるように、若い人と違い、中高年・高齢者の悪質クレームは温厚な人も豹変するから事前判断が難しく、怒声・暴言のレベルが明らかに異常で、精神がすり減るんですよね。
CHECK!
「そういう奴は昔から非常識ってだけ」と返すのは、サービス業未経験か、病気や老化の後天的問題を軽く見ている。その言葉、疲弊する店員や近隣住民たちの心を傷つけ、悲鳴を無視するばかりか、さらに塩まで塗り込んでいるだけだよ?
認知症|厚生労働省
加齢によって頑固になるって本当? 脳の先生に話を聞きました|tayorini
『人は、なぜ他人を許せないのか?(株式会社アスコム)』第4章 「正義中毒」から自分を開放する|中野信子著
「障害者には優しくしよう」
障害者は優しくしなければならない。
「困っている人には」の間違いでは? 障害者の迷惑行為で被害や傷つけられた人、障害を言い訳にする問題はどう考えます?
この言葉ってすごく違和感のある内容です。なぜ「困っている人には」ではなく「障害者には」と対象を絞るのか。「障害者」を「高齢者」と置き換えても同じことが言えますね。
それに発達障害・精神障害当事者のプロフィール欄や記事を見ると、
- 「指示は細かく具体的に」
- 「注意は優しい言葉で」
- 「理解をお願いいたします」
こう書かれていますけれど、仮に配慮を見せても欲求がエスカレートしたり、無視や逆上されることもあり、「優しくしよう」が原因で逆効果になることをあります。
全員ではないのは理解しつつも、自分も被害を受けたよ。優しく注意しても聞く耳を持たないか、「障害に理解がない」と逆に責められたから、歩み寄るのは難しい。
障害を免罪符にする人もいる
世間から無理解、嫌悪感を抱かれるのは不当だと主張する人・一部の障害当事者が勘違いしているのは、「障害だから」が理由とは決してないんですね。
CHECK!
迷惑行為を障害で免罪(めんざい)符、「配慮はしてもらって当然」だと受動的で、被害者意識が強い障害者が一定数いる。事実に基づかない不当な攻撃は、障害関係なく許されるものではありません。
しかし、このような加害行為をする、礼節がない障害者が一定数いることを当事者たちも認めてないと、真の意味で公平に接する、優しさと配慮の実現は難しいと思います。
障害者、特に精神・発達障害者からのトラブルが書かれると、当事者や親族・団体から「無理解」だと叩かれがちですからね。質問サイトや掲示板などで山ほど事例が出てきます。
こういうことをされるから溝は埋まらないし、「これだから障害者は〜」と、余計心証が悪くなってしまうんですね。
「障害者には優しくして」と言いながら健常者には優しくせず、「障害者には優しくしよう」と一方的に主張するのは違います。優しくしてほしいなら、優しくしてもらう努力は必要です。
「理解する」と「許容する」は違う。一方的な権利主張、優しさの強要は本当に平等なのかと疑問。
「不寛容社会だから思いやりを持とう」
現代は不寛容すぎる。もっと社会は思いやりを持って優しくなるべきだ。
その善意・思いやりをアダで返したり、踏みにじりや逆上する人がいることも忘れちゃいけないよ。
障害者の件と共通点がある内容で、不寛容になるのって心の狭さや思いやりのなさだけが原因ではありません。
特に「人間関係への不寛容」をさす場合、利他的に寛容な心を出せば、それにつけあがる人、要求が加速する人、踏みにじる人、逆上や被害妄想によるトラブル沙汰も珍しくありません。
変な人には関わらない
経験上、情緒不安定な人や発達障害を持つ人、そして認知症疑惑のある人に対して、仕事や本気で困っている場合を除き、あまり関わらないほうがいいと助言します。
偏見(へんけん)とか差別ではなく、実際に善意で手を差し伸ばしたら、欲求がエスカレートしたり、逆上されて苦労した多くの経験や、実生活の友人たちへ相談に乗ったがゆえの結論です。
CHECK!
性善的な考えは限界にきており、世の中には、善意をあだで返す人が少なくないことを知らなければならない。差別はもちろんいけませんし、可能な限り歩み寄るのは大切ですけれど、それに甘えて横暴になるのは別問題で、限度や限界があります。
お互いが生きやすくなるための区別(線引き)は必要ではないかと。
「その意見(表現)は差別的です」
それは特定対象への搾取・差別行為だ! 多様性の観点からそのような考えをしてはいけない!
多様性って言うけど、自分で多様性を狭めていない? 「私が気に入らないから」が本音じゃないの?
差別を称賛しているわけではなく、
CHECK!
なんでもかんでも差別だと、平等やポリコレ(ポリティカル・コレクトネス=多様性・中立的配慮)にこだわりすぎる人。とでも言いましょうか。程度はあるものの、本来のポリコレは素晴らしい考えかたです。
しかしながら、
- 一方的に説教をしはじめる
- 純粋な質問でも攻撃的に叩く
- 過激なヘイト行為を振りまく
- 創作物の表現を萎縮させる
ネットスラングでいう『ポリコレ棒』が目立ち、これは海外でも問題になっています。
それをしておきながら、
- 「社会は平等で優しくなるべき」
- 「差別がなくなる社会へ」
こう並べられてもただの綺麗事にしか聞こえず、複雑な気分になるだけです。
実は自分たちが一番差別をしている?
それゆえに、ひどいケースだと「差別だと言いながら、実は本人が一番差別をしている」という笑えない状況も散見されます。
#ジェンダー論 で陥りがちなのは、女性権利の向上を称しながら、言っていることが男性差別だったり、女尊男卑になっていたり…
— 赤竹ただきち / Tadakichi Akatake (@MyutaUsagi) March 29, 2021
という、極端思考で自身が差別に陥る人がいるってこと。
差別と言いながら、自分が差別的になっていないか、老若男女問わず語るときは気をつけたいね。#めざまし8
個人・団体が「差別」という言葉や行動を持ち出して拡散やクレームを出した結果、当事者の仕事や機会、多様性を奪い、逆に訴訟や炎上に発展したケースもあります。
ポリコレは「他者や多様性を認めて受け入れる」なのに、「気に入らない・不快に思えば全部差別」と、逆差別や創作表現の萎縮(いしゅく)、相手を叩く便利な道具になっています。
こういう人をたくさん見てきましたけれど、要は「私が気に入らないから」でしかなく、その個人的感情を社会問題にしてすりかえて意識高い系をするだけの人が目立ちましたね。
「差別をなくす」は正しい行為のはずなのに、悩ましいところです。
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「努力をすれば夢は必ず叶う」
努力すれば夢は絶対に叶う! だからみんなも頑張るんだ!
確かに(方向性を見定めた)努力は大切。でもそれは「自分の信念」として思うことで、「相手に説くもの」ではないね。
夢を叶える努力や行動は「叶える確率を上げるもの」で、最後は「運」の要素が大きいものです。
役者の子供なら同じく役者として活躍できる確率は上がるし、ひとりの採用枠で同じ努力をしたふたりのどちらかを採用するなら、差異がなければ直感や多数決という名の運です。
「成功した人はみんな努力をした人」の違和感
よくある「成功した人はみんな努力をした人」も、成功したからその努力が付加的に評価されたのであって、「成功できなかった人は同じように努力していない」となぜ言い切れるのかが疑問です。
それこそ、ひとりの採用枠で同じ努力をしたふたりの片方が落とされた場合の矛盾をちゃんと説明しないといけないのに、これを明確に答えられている人は見たことがありません。
また努力=成功ではないですし、中には本当に運で成功した人もいますからね。
CHECK!
「努力すれば夢は“必ず”叶う」は、「努力しても運が悪くてあきらめた人」を完全に無視する言いかたにしかなっていない。努力自体はいいこと
誤解してほしくないのは、「どうせ無理だろ」とあきらめて逃げるのは、失敗を恐れて自分の可能性を閉ざしているだけですし、努力という行為そのものは全否定しません。
結果はどうであれ、努力する苦労自体は買っておいたほうがいいからね。楽な道ばかり選ぶのはろくな人生にならないよ。
本当に努力をした人は「やれば必ず夢は叶うよ」よりも、
報われないこともあるけど、絶対に経験値になる。
このニュアンスで語る人が多いように感じます。
「いじめ根絶! なくそう!」
いじめは絶対にあってはならない! いじめを根絶しよう!
人間が社会性の生き物である以上いじめはなくならない。むしろケア・対応の整備のほうが大切。
大人の世界でもパワハラやセクハラなど、陰湿ないじめは数多くあり、いじめる側も家庭環境に問題がある場合が多く、いじめ加害者もまた、親や親族からのいじめ被害者だった……
……なんて事態もあるのだから、
いじめはいじめる奴が100%悪い。
そう一方的に断罪するのは根本的解決になっていません。
自称いじめられっ子有名人・アイドルの行動矛盾
いじめ経験を告白する有名人やアイドルなど、いじめ被害体験を熱弁する人ほど、自分の非を認めず、意見の異なる相手に攻撃的で、いわゆる「晒し上げ」をすることも少なくありません。
やっていることはいじめ加害者と同じで、いじめグループのリーダーが取り巻きを使って攻撃するのと本質的には一緒です。
こういう「いじめを嫌うのに結果的に相手をいじめている」を見ると、負は連鎖し、なくならないことを実感させられる。
なくすのではなくケア・対応を考える
CHECK!
感情論を抜きにし、人間は社会性の生き物で複数集まった時点で、いじめは絶対に起きる。動物の世界にもいじめはあるため、なくすことはできない。集団社会・競争社会・縦社会である以上、いじめは起きるし、絶対になくならない。だから発生した場合のケアや対応を考えよう。
これなら現実的ですし信頼できます。
「武力を捨てて話し合うべき」
ちゃんと話せばわかりあえる。武力は捨てるべきだ。
教育・貧困問題を考えたことは? 貧困で武力を身につけることもあるし、共通認識も定めたほうがいい。
これはいろいろ意見が出るところで、残念ながらこちらは「勉学の機会が充実している先進国だから言える」という感想を抱きます。
かといって、「世の中にはこういう人もいるんだから日本は恵まれている」なんて綺麗事を言うつもりもありません。日本の貧困(相対的貧困)も笑えないものになっています。
なぜ武力があるのかを考える
そもそも話し合いで解決できるのであれば、今の世界はとっくに内戦も紛争もなく平和になっているはずです。
軍だって不要ですし、何をどう話し合いをするのか、どういった共通認識を持つのか、そこの定義があまりにも曖昧(あいまい)すぎるんですね。
人間は争う生き物であることは、歴史を見てもそうだからね。武力否定論って、人類の長い歴史の中でもごくごく最近の話。
世界には勉強や教育の機会を奪われた結果、言葉ではなく暴力に頼らざるをえない人が住む国や、軍があるから他国に襲われるリスクが減るわけですからね。
別に武力や暴力を称賛したり、必要だと言っているのではなく、内情から目をそらして一方的に価値観を押しつける行為が、はたして本当に平和的解決の近道なのかということです。
CHECK!
話し合えば武力はいらないとは、国の数だけ価値観と事情、理解することができない人がいることを一切無視した押しつけになっている。世の中からいじめや暴力事件がなくならないのと根本的に同じ。食べていくために暴力を身につける話は珍しくありません。
しかしながら、現地に赴(おもむ)いて見ていない自分が世界情勢を語っても説得力ないので、言えるのはこのぐらいですね。
綺麗事ばかり言う人は、綺麗事を否定する人に排他的
ある意味日本人らしい
揚げ足とりや言葉狩りをしたいのではなく、背景やその先の本質をしっかり見据えているのかという話で、吹聴する綺麗事とは、絵空事であるばかりか相手を傷つける凶器にもなります。
その被害に苦しむ人たち、実情を知っている人たちがこれらを綺麗事を否定すると、
- 「キミって若いでしょ? 考えが青いわ」
- 「達観者気取りをして偉そう」
- 「心がすさんでいてカワイソー」
- 「助言してやったのに何様だ」
- 「答えてあげたのにめんどくさ」
- 「あっそ。じゃあ言うなよ」
綺麗事に従わない相手を叩いたり見下したり、異端的な目を向ける人たちが出てきます。
本当に相手のことを考えていたら、このような言葉はまず出ませんよね。
綺麗事ばかり言う人への対策
机上の理想論では
誰も幸せにならない
綺麗事ばかりで聞く耳を持たず、対策案も出さない人への対策は、ネット・SNSなら「関わらない」。実生活なら「適当に流すか、対策をうかがう」が効果的ではないかと提案します。
ネット・SNSの場合
ネット・SNSの場は「自己主張したいけど意見は許さない」という、「言われる・指摘される覚悟がない人」も少なくなく、平行線で終わるケースが散見されるので、関わるだけ労力と時間の無駄です。
論点をことごとく都合よくずらされ、己の正当性を自己弁護して聞く耳を持ちませんからね。
実生活の場合
実生活の場合は適当に流すに加え、具体案と対策を求めると、綺麗事ばかり言う人はぐうの音も言えないか、「自分で考えろ」と逃げる形になります。
もし自分の言動を反省・改善できないのなら、あきらめて見捨てるしかなく、問題分析・解決ができないのは、個人の信用を得られにくいものです。
綺麗事を吹聴する人、違和感を感じない人は総じて、問題解決能力が低い傾向にあります。
最後に:綺麗事は凶器になる
本当に相手のため?
自分のエゴのため?
以上、綺麗事のどこが悪いのかという部分を述べていきました。綺麗事にもさまざまな種類はあるし、この記事は揚げ足とりや言葉狩りをすることが目的ではありません。
綺麗事は当事者の心も傷つける凶器にもなるもので、綺麗事をよかれと思って言っている人は、
- 世間から模範的でいい人間と思われたい
- 普通や常識などを疑ったことがない
このタイプが特に多く、世間体ばかりを気にしていたり、普通や常識、自分自身を疑ったことがないんですね。
綺麗事ばかり言う人は「いい人」ではなく「いい人ぶる人」であり、多角的に考えられない人です。
背景やその先の本質を見ないから、嫌われる綺麗事を言いふらしたり、並べるんじゃないのかな。
綺麗事ばかり言う人は、問題解決能力が低い
実際、綺麗事を拒否・疑問視する人に対し、
- 「キミって若いでしょ? 考えが青いわ」
- 「達観者気取りをして偉そう」
- 「心がすさんでいてカワイソー」
- 「助言してやったのに何様だ」
- 「答えてあげたのにめんどくさ」
- 「あっそ。じゃあ言うなよ」
など、手のひらを返して攻撃しようとすることからも、わかるかと思います。これって本当に相手のことを考えていたら出るはずのない言葉です。
綺麗事ばかり言う人は、「How思考で考え、問題解決能力が低い傾向にあり、信頼の獲得がしにくい人」とも言えますね。
「いい人」を演じているようでは成長しない
とはいえ、「常日ごろから物事を息苦しくシビアに考えろ!」と言うつもりはありません。
モチベーション(理想)という意味で、綺麗事を自身の着火剤として留める、その綺麗事を夢として日々頑張っているのであれば、それをとやかく言う権利は誰にもありませんからね。
CHECK!
綺麗事を言う人は常識を疑えないか、無害ないい人を演じる自己満足・優越感が目的。いい人ぶるのは当事者を無責任に傷つけるだけで精神的にも成長しない。「綺麗事の何が悪い」と思っている人は、
- 「自分をよく見せたいのでは?」
- 「普通や自身を疑ったことがあるか?」
- 「無害ないい人を演じたいだけでは?」
ここを今一度、見直して考えてもらいたいものですし、「いい人」と「いい人ぶる人」はぜんぜん違うということを、認知していただければと思います。
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プロフィール
赤竹ただきちTadakichi Akatake
サイトのURLをSEO的観点から、検索上位のものや記事のURLを書き換えているんだけど、これがなかなか興味深い。
omotenashi(おもてなし)・karoshi(過労死)・tsunami(津波)は日本人も知っている人は多いし、サブカル関連だとhentai(ヘンタイ)・kemomimi(ケモミミ)・mesugaki(メスガキ)も日本語読み表記。
個人的に興味深かったのが、kotobagari(言葉狩り)も日本語読みで表記するらしい。海外だとPC(ポリコレ)だろうけども、漢字・ひらがなの表記にこだわるから、kotobagariなんだろうなと。
イラストレーター・マークアップエンジニア(コーダー)・Webデザイナー・ライターのウサギ好き。多様な絵柄を描け、外国人でも絵でわかるマンガ、ウサギと口内描写にこだわりを持つ。
コーディングとWebデザインは両方可能。納期が短いなどいった案件では、「デザインとコーディングのアドリブ同時進行」という荒業もおこない、SEO施策を意識したマークアップも得意。
フリーランスとの進行ディレクション・指示や、面接担当の経験が幾度もあり、プロ・趣味問わず、絵描きを含めたクリエイティブの姿勢には少々シビア。
「自省・リテラシー・正しい批判の認知・意識向上」をライフワークとし、当サイト記事も「気づき・理解・学ぶ」を全体テーマとして執筆。
当サイトの記事は中学生でも理解できるように計算しながら執筆しており、ネット・SNS上で「わかりやすく参考になる」とご好評の声多数。
「言い訳せずに下手でも自分の弱さを認め、背かず自省して学ぶ意識を忘れない(=謙虚な)人」は、年齢・性別問わず好きなタイプ。
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