



スカルフェイスの物語後半の小物感は今見ても不思議演出。あれは多分テンション上がっているせいでしょう。
スタンプ風のスカルフェイスの元ネタは、スカルフェイスの中の人吹き替えによる公式プレイ解説動画を見ればすぐわかりますので、ご参照を。
そして次からは、最近読んだメディアサイトのMGSV考察記事について、ちょっと引っかかった部分がありましたので、以下から述べていきます。
個人の見解です
ほかの意見もご参照ください
『MGSV』考察記事について思うこと


少しお付き合いください
以下のインタビューですが、内容自体は参考になるし考えの幅が広がりました。
しかし未完成のくだりについては作品考察人のよくある悪い癖が、全面的に出てしまっているような印象を受けましたね。
『MGSV』のストーリーをどう読み解くべきか識者に訊く|HMV&BOOKS online
作品考察というのは、
CHECK!
つくり手が物語の起承転結をしっかり作り、「作品だけでも楽しめるが、考察するとさらに楽しめる」からこそ意義がある。ここが大切なんですね。
商品として考えると…
(コナミとのゴタゴタといった大人の事情があったとはいえ)MGSVは中途半端に終わった打ち切りエンドだとプレイしたユーザーの多くが感じているものを、
- 「いや、監督にはこういう意図があった」
- 「これは監督のにくい演出だ」
- 「あえて考察の余地を残した」
このように論じるのは違うと思います。
百歩ゆずって、アート作品ならその理屈は通用しますが、考察(深読み)しなければストーリーが補完されないって、「商品」として考えれば失格です。
端的に言えば、考察を都合よく拡大解釈しすぎている。

考察はしなくてもいいもの


ここの前提はかなり重要
考察自体は楽しいものですし、考える自体は否定しませんが、ストーリーが成立している作品だからこそです。
CHECK!
考察とは、やると作品をさらに楽しめるけど、別にしなくてもいいもの。考察って任意の行為であって、「しなければならない」ではないんですね。
過去作のメタルギアにも、伏線や文学作品オマージュは多く考察も盛んにおこなわれてきましたが、続編構想はあったとはいえ、単体としてストーリーは成立していました。
考察に熱中する人ほど、ここの定義抜けが本当に多い。

「考察の余地を残した」はただの願望


「考察」ではなく
「願望」なのでは?
今作のストーリーに説明不足や欠落がある、考察しないとストーリーを把握できないものに対し、「意図的に描写していない制作者の思惑」「オマージュだから理由がある」はズレているんですね。
それはあくまでも想像の域を出ません。言うなれば「ただの深読みしすぎによる憶測語りなだけ」の、制作者の心酔(しんすい)から生まれた願望のようなものです。
繰り返すように彼に限らず、アートと商品を混同しているというか、クリエイティブやエンターテインメントを都合よく拡大解釈しすぎている人を見ると、なんだかなぁと思いますね。
作り手からしたら、ある意味都合のいい人たちではある。

弁解になっていない見解


しっかり答えるのがスジ

蝿の王国はなくていい。ボツ案はどのゲームにもある。
と、この方以外にも主張するユーザーやファンがそれなりにいますが、
- なぜ映像に『完成度』を表記するのか?
- 未完成のモデリング映像を流す必要性は?
といった疑問に答えていませんからね。

最初はこんなストーリーも考えていたんですよ。
そう言って済ませればいいのに、わざわざ完成度を表記した未完成のモデリング映像を流すのは、

ワケあって作れませんでしたので供養です。
と開発側が認めてしまっている証左です。
明らかに未完成と感じる部分
- バトルギアの存在価値
- ただ広いだけのマザーベース
- 終盤の埋め合わせメインミッション
- サヘラントロプスの行方
- 唐突なエンディング
このような部分が多々ありましたし、
本当はこんな遊びを入れたかったんだけど、できなかったんだろうなぁ。

そう思わせる残骸は、ストーリー以外でも見られますからね。
ネット・SNS上では海外ファンの解析で、「本当は5章まであった」という話がありますが(MGSVは2章で終了)、没データからの推測話であるためここでは扱いません。
最後に:本当のファンなら正しい批判をすべき


良否を建設的に言うのが
本当のファン
長くなりましたが、
CHECK!
MGSVの未完成要素に違和感を感じた人が多く、それを「監督が意図的に考察の余地を残したのに、元ネタも知らん連中が騒いでるだけ」という趣旨の発言はよくない。という感じです。
厳しい言いかたにはなりますが、もっともらしいことを書いても記事を掘り下げてみれば、「深読み大好きな熱狂的ファンの一方的な願望」にしかなっていません。
白鯨やFOBの考察、メタルギアサーガの話は物書きとしても参考になっただけに、惜しいと思う。

こういった人たちを見て毎回思うのが、
対象をただ称賛し、持ち上げるのは信者で、ファンではない。

ということですね。考察の本来の目的・意味を再考すべきではないかと感じます。
熱狂的に心酔するのはただの宗教
ただ対象を熱狂的に持ち上げるだけというのは、宗教に心酔する信者とほとんど同じです。小島監督に関しては心酔する人は世界中にいますから、本当にあれは宗教なんですね。
もちろん、指摘・意見を言うときは、ちゃんと相手への礼儀は払うべきなのを忘れてはなりません。しかし、それでは対象への正しい批判なんてできませんよね。
MGSV発売から結構たっているに加え、昔の記事にいまさら言うのもアレなんですが、実は最近になってPS4版をプレイし、上述のインタビュー記事を見て疑問に思ったので記載しました。
MGSVは映像もゲームも最高だし時間泥棒。でも内容の未完成は確かに否めなかった。

余談:サヴァイブを叩いている人たちに思うこと
余談ながら、本作のあとに発売された『メタルギアサヴァイブ』を叩く人を見ると、

小島監督のいないメタルギアはメタルギアじゃない。監督が関わってないメタルギアはダメだな。

小島監督を追い出したコナミが許せない。あいつらのせいでメタルギアの息の根が止められた!
こういった感情が渦巻いているパターンが多く、だいたいは未プレイです。
最初の例は『メタルギアライジング』でもありましたが、彼らって結局「メタルギアが好きなんじゃなく、小島監督や小島監督作品が好きなだけ」でしかないんですよね。
メタルギアライジングはシリーズで上位に入るぐらい好き。

自分はサヴァイブはやったことないので否定も肯定もしませんが、実際にプレイした人は、

ゲームはすごく面白い。でもメタルギアかと言われると微妙。
こういった冷静な評価が多いことからも、察することができます。感情論抜きにして、小島監督はよくも悪くも「影響力が強すぎる罪な人」ですね。
