



スカルフェイスの後半の小物感は今見ても不思議ですが、テンション上がっているせいでしょう。
スタンプ風のスカルフェイスの元ネタは、スカルフェイスの中の人吹き替えによる公式プレイ解説動画を見ればすぐわかります。
MGSV関連で、メディアサイト記事で引っかかる内容がありましたので、見解を述べていきます。
【公式】SIDE OPS 1 戦車隊戦編 – TGS2015 GAME PLAY DEMO (解説:スカルフェイス/CV:土師孝也) | MGSV:TPP (JP) CERO [KONAMI]|YouTube
【公式】SIDE OPS 2 ゾンビ戦編 – TGS2015 GAME PLAY DEMO (解説:スカルフェイス/CV:土師孝也) | MGSV:TPP (JP) CERO [KONAMI]|YouTube
個人の見解です
ほかの意見もご参照ください
MGSV考察記事の見解


少しお付き合いください
『MGSV』のストーリーをどう読み解くべきか識者に訊く|HMV&BOOKS online
このインタビューですが、内容自体は参考になるし考えの幅が広がりました。
しかし未完成のくだりについては作品考察人の悪い癖が、全面的に出ている印象を受けましたね。
作品考察は、つくり手が物語の起承転結をしっかり作り、「作品だけでも楽しめるが、考察するとさらに楽しめる」からこそ意義があるものです。

いや、監督にはこういう意図があり、考察の余地を残した。
考察という言葉を都合よく拡大解釈しすぎていない?

このような旨を論じるのは、考察の定義からは外れてしまうもので、むしろ拡大解釈になります。
当時は大人の事情や騒動を差し引いても、MGSVは中途半端に終わった打ち切りエンドだとユーザーの多くが感じているものをファン考察で頼って埋めるのは、商品とはいい難いものです。
考察とは任意の行為


ここの前提はかなり重要
CHECK!
考察とは、やると作品をさらに楽しめるけど、別にしなくてもいいもの。考察自体は楽しく、それ自体は否定しませんが、ストーリーが成立している作品だからこそです。
考察とは「任意の行為」であって、「しなければならない」ではないんですね。
過去作にも伏線・文学作品オマージュは多くあるものの、単体としてストーリーや起承転結は成立していましたし、細かい部分は行間を読ませる設計があったからこその考察なんですね。
今作は過去作とは違って後述の蝿の王国などのように、未完成と思わせる部分が多々あります。
それを「意図的に描写していない制作者の思惑」「オマージュだから理由がある」は違うもので、そういうのは考察ではなく、制作者の心酔(しんすい)から生まれた「願望」に近いでしょう。
考察に熱中する人やクリエイターを神格化するような人ほど、ここの定義抜けが本当に多い。

弁解になっていない見解


しっかり答えるのがスジ

蝿の王国はなくていい。ボツ案はどのゲームにもある。
ものづくりである以上、ボツ案はどこでもあるものだよ。でも「なくていい」は飛躍しているよね?

この方以外にもそう主張するユーザーやファンがそれなりにいますが、
- なぜ映像に『完成度』を表記するのか?
- 未完成のモデリング映像を流す必要性は?
といった疑問に答えておらず、「最初はこんなストーリーも考えていたんですよ」で済ませればいいのに、わざわざ「完成度」を表記した未完成映像を特典で収録するものでしょうか。
ものづくりだからお蔵入り・ボツ案は出るものの、蝿の王国はサーガの根幹に触れており、ボツとしてはあまりに損失があるものです。
ゆえに「ワケあって作れませんでしたので供養です」と開発側が認めている証左でしょう。
- バトルギアの存在価値
- ヴェノムが血の色を誤認する
- ただ広いだけのマザーベース
- 終盤の埋め合わせメインミッション
- サヘラントロプスの行方
- 唐突なエンディング
本当はこんな遊びや設定を入れたかったんだけど、大人の事情でできなかったんだろうなぁ。

このような部分が多々あり、そう思わざるをえない残骸はストーリー以外でも見られますからね。
ネット・SNS上の海外ファン解析で、「2章ではなく5章まであった」という話がありますが、没データの推測話であるためここでは扱いません。
最後に:考察は「しなくてもいい」が大前提


考察とは
しなくてもいいもの

メタルギアは小島監督がどうとか言っている人が多くないですか?
メタルギア界隈(かいわい)の非常に悪いところなんだよね。監督を神格化しすぎている。

CHECK!
「監督が考察の余地を残したのに、知らん連中が騒いでるだけ」は考察ではなく願望。記事自体は参考になりましたし、白鯨やFOB考察、メタルギアサーガの話は参考になったので、結果として読んで良かったと思える記事です。
しかしながら、「考察を拡大解釈した熱狂的ファンの一方的願望」な部分も否めない内容でした。
ただ対象を熱狂的に持ち上げるだけというのは、宗教に心酔する信者とほとんど同じです。小島監督に関しては心酔する人は世界中にいますから、本当にあれは宗教なんですね。
対象をただ称賛し、持ち上げるのは信者で、ファンではない。

彼らを見ていつも思うのですが、考察の本来の目的・意味を再考すべきではないかと感じます。
MGSVは映像もゲームも魅力的な時間泥棒で、100時間以上はプレイしています。ですが同時に、内容の未完成さが否めない作品でもあります。
余談:サヴァイブ叩き人に思うこと

小島監督のいないメタルギアはメタルギアじゃない。監督が関わってないメタルギアはダメだな。

小島監督を追い出したコナミが許せない。あいつらのせいでメタルギアの息の根が止められた!
メタルギアが好きなんじゃなくて、小島監督や小島監督作品が好きなだけなんじゃないの?

余談ながら、本作のあとに発売されたサヴァイブを叩く人を見ると、大体は未プレイですよね。
メタルギアライジングでもありましたが、彼らって「メタルギアが好きなんじゃなく、小島監督や小島監督作品が好きなだけ」でしかありません。
サヴァイブは未プレイなので否定・肯定もしませんが、プレイした人ほど「面白いけどメタルギアとは呼びにくい」と冷静に論じる評価が多いことからも、宗教化を察することができます。
感情論抜きにして、小島監督はよくも悪くも「影響力が強すぎる罪な人」ですね。




















