去年あたりから、『親ガチャ』の問題がメディアなどで見かけるようになりました。
しかしその内容が、
- 「親ガチャは家庭の経済格差の問題」
- 「親の年収が低いから大学に行けない」
- 「貧しい家庭の子供は将来が危うい」
……と、親ガチャを家庭の経済格差問題とイコールで語る人が多く、個人的にこれはよろしくないと考えています。
この記事では、
- 親ガチャの概念と見解
- 親ガチャの問題点はなにか
- なぜ格差問題として扱うのか
以上の内容で書き進めていきます。
-
個人の見解です
ほかの意見もご参照ください
親ガチャの定義
当記事の定義
まず親ガチャの定義ですが、
- 【親ガチャ】子供の立場からでは、どの親元に生まれるのかは選べない。それをソーシャルゲームのガチャにたとえた表現。
つまり、『親ガチャ』は親の資質と人間関係の問題であり、これを冒頭の内容で書きかえるならば、
- 「親ガチャは親子関係の問題」
- 「束縛されて行きたい大学に行けない」
- 「機能不全家庭は、子供の将来が危うい」
こう語るのが、本来の親ガチャ問題ではないでしょうか。
主観的ではあるものの、メディアが取り上げる以前は、このような意味で『親ガチャ』がネット・SNSで使われていたと認識しています。
経済格差も確かに親ガチャの要素にはなりえますが、重きを置く部分ではありません。
親ガチャ| weblio辞書
金持ちだから幸せ、貧しいから不幸せなのか?
親ガチャ=経済格差の
理屈はおかしい
なぜ経済格差の問題として、重きに置くべきではないのかですが、
- 「経済力のある家庭は健全に子供が育つ」
- 「年収が高ければ、家族仲は良好」
- 「資産がある家庭は教育が十分」
経済格差の問題なら上記のような理屈になります。しかしながら、
- 金持ちの親=立派な親という証拠は?
- 高年収の家庭は本当に自由なのか?
- 金持ちは幸せ、貧乏は不幸せなのか?
このような疑念点が生まれますし、これをしっかり反論できるコメンテーターや専門家は、どれだけいるのでしょう。
親や家庭への不満を持つ子供や、子供をひとりの人間として見ない、資質に問題のある親が増えたのが、親ガチャという言葉がうまれて、はやったと思うけどね。
冷静に考えたらわかる矛盾
たとえば、高年収だから親のプレッシャーが強く、失敗すると責められて「失敗=人生終了」と極端に考える……これでは子供が可哀相ですよね。
逆に経済力がなく貧乏でも、子供を人格を持ったひとりの人間として認め、頑張る親を見て「私は親ガチャに外れた……」と考える子供って、まずいないのではないでしょうか。
また東大卒でも人生がうまくいかず不幸に感じる人はいるし、好きなことを探求して貧乏でも人生に満足している人、低所得層だけど勉強して有名大学に行った人は珍しくありません。
子供を認める貧乏家庭ならむしろ、「親ガチャ」より「親に楽をさせてやりたい」と思うほうが自然だろうからね。
家庭の問題は表面化しにくく、事情も多種多様です。ですが経済格差問題なら、こういった矛盾が出てしまうんですね。
親ガチャのロジック
わかりやすく言うならば、
- 「金持ち+子供を認めない」
→ 親ガチャ - 「金持ち+子供を認める」
→ 該当しない - 「貧乏+子供を認めない」
→ 親ガチャ - 「貧乏+子供を認める」
→ 該当しない
もちろん、親の介護問題だとか相性もいろいろありますが、簡単にまとめるとこうなります。
親ガチャ問題を経済格差の問題だけで語るのは、そういった家庭環境にいなかった人による、本質を見ていない主張だと自分は思います。
『親ガチャ』は子供の悲鳴
親ガチャなんて言葉は子供のグチであり、それをSNSに書いているだけで深刻なケースはほとんどない。
専門家の中にはそう語る人もいますが、個人的には懐疑(かいぎ)的です。
確かに親のグチなんてのは誰しも一度はあるもので、「うちの親がこうなんだよね〜」と、親戚や友人に語るものだと思います。
中には親に反抗したい年ごろで、冗談半分で言う人もいるだろうからね。
しかし、「親ガチャ」なんて言葉を使うのは一部例外を除き、精神的に孤立していて、よっぽどの家庭問題がないとまず出てこないかと。
「死にたい」よりかは比較的健全ではありますが、まっとうな環境とは言いがたいです。
原因は育児力格差、「親ガチャ」は子どもからの警告!|madameFIGARO.jp
「親の言うことが聞けないの?」趣味もSNSも認めず、家事強制 毒親がつらすぎる|高校生新聞ONLINE
「親ガチャ外れたわw」も「親ガチャだなんて親がかわいそう!」も本質は一緒なのではって話|草食系凡人OLのひとりごと。
親ガチャ=経済格差になる理由
あくまで推測です
なぜメディアや専門家は、親ガチャを経済格差の問題にすり替えるのか。あくまで「推測の域を出ない」ですが……
- 【単純明快】経済格差や年収の問題にすればわかりやすいから。
- 【大人の事情】毒親の存在にすると不都合が出てしまう。
- 【クレーム対策】「子供は親に感謝し、従うもの」を崩すとクレームがくる。
- 【拝金主義】お金があれば絶対に幸せという、資本主義による固定概念。
などといった可能性が考えられます。実際に世間では親の問題に意見すると、
- 「親に向かって何様だ」
- 「親になったことないから言えるんでしょ」
と言われてしまいますし、年収や格差の問題なら「まあ仕方ないよね」になるんでしょうね。
テレビなどを観るのは中高年層が多いらしいし、「親は子供に感謝するのが普通」という価値観の世代だからね。
若年と中高年「テレビ視聴時間」これだけの違い|東洋経済オンライン
精査しないメディアがよくない?
ほかにも考えられるのが、
- 家庭が貧しい
- 親も人として尊敬できない
- 『親ガチャ』という言葉を書き込む
- それが拡散されて話題になる
こういった流れでメディアが取り上げ、次第に経済格差の意味にすり替わったという感じです。
少なくとも言えるのは、問題の本質をしっかり見ていないということ。
痛みを知らないと実感できない
親ガチャの問題点は、「人格を認められなかった、人として尊敬できない親の家庭環境」に育てられないと理解しにくいかもしれません。
人並みの家庭、素直に親へ感謝できる環境だったから、実感がわきにくいのだろうね。
自分の場合、親からは一方的に価値観を押しつけられたり、兄弟差別をされたり、「子供が親に意見するなんて何様」とヒステリーを起こされる家庭で育ちました。
正直性格はかなり歪みましたが、親族でもない教師や友人などが、親が教えてくれなかったことを教えてもらえたし、大人になってからはひねくれた性格は自省してある程度改善しています。
ゆえに、親ガチャと言いたくなる人の気持ちが少しわかるんですね。
「子供は親に感謝されるべき! 文句あるなら出ていけ!」だったから今は両親と疎遠で、連絡手段も一切断った。今のほうが断然幸せに感じるよ。
最後に:年収ではなく親のモラル
お金ではなく
人として認めているか
『親ガチャ問題』は金持ちだから、貧乏だから、勉強環境の有無という経済格差の話ではなく、「親の資質と人間関係」が一番の問題です。
お金と経済力がある家庭なら、確かに衣食住に不自由なくそれだけ可能性は広がりますが、
- 金持ちだから親子関係も良好
- 貧乏だから機能不全家庭
- 年収が高い=幸福
- 年収が低い=不幸
というレッテル貼りで、人間関係の問題をお金や年収にすり替え、それを「正」だとメディアが取り上げる姿勢は首をかしげますね。
金持ちでも毒親なら「親ガチャに外れた」となりますし、貧乏でも子供を認める親なら、「親ガチャに外れた」より「親に楽をさせたい」が自然です。
心の豊かさはお金とイコールではない
心の豊かさとは、「物質的な問題ではなく、自分の中にアイデンティティ(自己)の確立ができているか」が何よりも大切です。
もちろんお金があればできることも増えますが、金銭的豊かさと心の豊かさは別物です。
親が子供をひとりの人間だと認め、敬意を持って接していれば、自己の確立はできやすくなります。逆に親に否定され、「子供は親に感謝して当然」という家庭なら自己の確立は難しいです。
しっかり考えればわかりそうではあるんですが、「子供は親に感謝して当たり前」という価値観が中高年世代に多いし、民衆は本質を見させるよりわかりやすさを求められるものです。
「親ガチャ=親子関係」より「親ガチャ=経済格差」のほうがメディアとしては都合がいいし、単純明快でわかりやすい(=ウケがいい)のだろうと思いますからね。
日本スゴい番組とか、外国人=白人ばかりなのも、ウケがよく理解しやすいから。都合の悪いこと(=本質)を言ってクレームになるのも避けたいだろうからね。
経済格差問題も親ガチャ問題の要因にはなるため全否定はしませんが、しっかりと問題を考えるなら、親ガチャ=経済格差と語るのは本質を見ておらず大変詭(き)弁です。
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