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雑記他

雑記

綺麗事を快(こころよ)く思わない人って、ネット・SNSなどを見かけると少なくない気がしますね。

綺麗事を肯定したり、悪いと思わない人の中には、

  • 「綺麗事の何が悪いの? 迷惑かけてないじゃん」
  • 「綺麗事を否定する人はひねくれてるだけ」

みたいな意見も見られますが、思うだけならまだしも、それを吹聴するような人は自分も好きではありません。むしろうさんくさいというか、口ばかりで信用できない無責任な人だと考えています。

なお当記事で「綺麗事」を定義しておくと、

  • 綺麗事】表面上は立派かもしれないけど、現実や実情を見ていない絵空事。

上記を意味とします。

綺麗事とは相手にとってどう見えている、感じる可能性があるのかを、この記事を参考のひとつにしていただければ幸いです。

これは一個人の意見です

他の様々な意見・視点も取り入れてください。


綺麗事の具体例となぜいけないのか

さて、実生活(日本)で見かける綺麗事の一部をピックアップします。

「親には感謝し、高齢者(年長者)は敬わなければならない」
上の者を敬えという概念は、「儒教の教えによるもの説」と「社会生活で生まれた自然発生説」があるらしいですが、年齢が上な人間が果たして皆、勤勉な人格者かと言われたら、そんなワケありません。

脳の萎縮(いしゅく)や精神疾患から様々な迷惑行為や犯罪を起こす、ネット・SNSでいうところのいわゆる『老害』と呼ばれる迷惑高齢者は近年増加傾向にあり、子供をひとりの人間として扱わない『毒親』、虐待行為や『DV(家庭内暴力)』の報道は珍しくなくなりましたが、取り上げられるのは氷山の一角。

20歳未満の者の構成比は,元年は52.9%(16万5,686人),15年は38.3%(14万5,448人)だったのに対し,30年は,11.6%(2万3,970人)にとどまり,20歳未満の若年齢層の比率の低下が進んでいる。他方,65歳以上の高齢者の構成比は,元年には2.1%(6,625人),15年には7.8%(2万9,804人)だったのに対し,30年は21.7%(4万4,767人)を占めており,検挙人員に占める高齢者の比率の上昇が進んでいる。

令和元年版 犯罪白書

DV検挙数が10倍超、犯罪白書 平成30年余、児童虐待も増

— MSNニュース —


もちろん素直に感謝や尊敬できる「素晴らしい人」であれば、それに越したことはありません。しかし感謝や尊敬は相手から押しつけたり強要するものではなく、己(おのれ)の中に自然と湧くものです。衣食住・教育への恩義や戦後復興の功績の話と、個人の人間性・性格の話は分けて考えるべきです。

重ねるように、元から感謝できたり敬える人格者が多ければ、これらの言葉に反発する人はいないでしょうし、定義を分けずにひとつ覚えのごとく、人間性やモラルが低い相手にも「親に感謝しろ」や「高齢者は敬え」とするのは、人生の先輩を気取るだけではなく、崖から苦しむ人たちの背中を押して突き落としているようなもの。

左利きの人を『ぎっちょ(※現代では差別用語)』、「女は家で家事しろ」と同じく、時代にそぐわない価値観を押しつけているだけ。世渡りとして建前を教える(ヨイショする)ならともかく、「それが普通で常識だ」と子供へ刷り込むのは、ただの「洗脳教育」です。

「ぎっちょは差別用語じゃなく、方言やニュアンスの問題じゃない?」と言う人は、なぜ差別用語なのかを思案しない不勉強さと、知識アップデートをしない怠慢を反省してほしいもの。その考えから親や親族に右利き矯正された人は、『左右盲』や言語障害などに悩まされる人が多いのも知ってほしいね。

中には被害妄想を振りかざし、過剰(かじょう)に反応して邪険にしたがる「ワガママなだけの自己中な甘ちゃん野郎」もいるでしょうが、多くは決して甘えだとか、若くて視野と経験が不足しているから……というレベルでは片づけられない複雑な事情が絡んでいます。

「非常識な奴は昔から非常識。どの世代にもいる」
中高年・高齢者の『悪質クレーマー(カスタマーハラスメント:カスハラ)』問題や、迷惑行為を取り上げた話題でよく見かける常套(じょうとう)句。極めつけは「君もいずれはその嫌っている人の世代になる」ですからね。

詳細は以下の記事に記載していますが、若い世代のクレームと中高年・高齢者のクレームはかなり性質が違い、後者のほうがはるかに厄介。何が恐ろしいって、「温厚な人も豹変するから事前判断が難しく、ねちっこくてメンドくさい上、毎回因縁をつけられて精神すり減る」ところなんですよ。

なのにも関わらず「そういう奴は昔から非常識ってだけ」と返すのは、サービス業未経験か、脳の老化や認知症などの後天的問題を軽く見ているレベルの人。

独善的な正義感に駆られた自治気取りや説教行為で、結果的に地域の迷惑になる中高年・高齢者の異様さは直面しないと分からないもので、改めるチャンスがある若い人と違い、もう治すことはできませんからね。

その言葉、疲弊する店員や近隣住民たちの心を傷つけ、さらに塩まで塗り込んでいるだけですよ?


「障害者には優しくしよう」
それ健常者だからこそのごう慢じゃない?」と感じるのはひねくれているから……?

これも過去記事で言及しているので、興味のある方は参照のこと……で、この言葉ってすごく違和感のある内容です。なぜ「困っている人には優しくしよう」ではなく「障害者には」と対象を絞るのか。「障害者」を「高齢者」と置き換えても同じことが言えますね。



発達障害関連だと、当事者のプロフィール欄や彼らへの接し方を述べる記事では、「指示は細かく具体的に内容を伝えてください」「何がダメだったのかを優しい言葉で詳細に言ってください」ってよく書かれていますが、それって「配慮を求める相手に対し、より心労やストレスを与える対応を強いて疲れさせている」ってことですからね。

その見返りとして成果を上げるなら別ですが、仮に配慮を見せても、都合が悪ければ聞く耳を持たず、無視や逆ギレするなど、無意味な結果を招く場合もありますし、その配慮は当然だと感謝の念を抱かない場合は最悪ですね。これで「配慮が足りない」「もっと優しく接しろ」だと、心証が悪くなるだけでしょう。

実生活でもネット上でも実際に経験しただけに、「ほんと虫がいいよな」って思ってしまいます。ごく一部だけだと信じたいですが。

このように、一部の当事者や親族はその綺麗事や配慮に甘えて勘違いし、「助けてもらって当たり前。社会はもっと努力しろ」「発達障害を理解しない定型発達者(健常者)のほうがおかしいしクズ」などと、暴挙に出る遠因のひとつになっています。

事情は理解しても、相手の善意を盾にして迷惑・横暴な行為を許していい理屈や免罪符(めんざいふ)にはなりません。

健常者が障害者に苦手意識や嫌悪感を持たれるのは「障害者だから」ではなく、「障害を免罪符にした一方的な権利主張・感謝の念を抱かずに配慮の強要・悪意なき迷惑行為の問題」がほとんど。当事者はそこを勘違いする人が少なくないですが。

「不寛容社会だから、もっと皆が心の余裕と思いやりを持つべき」
障害者の件に通じますが、不寛容になるのって心の狭さや思いやりのなさだけが原因ではありません。

「スキャンダルやニュースにバッシングや誹謗(ひぼう)中傷、特定晒(さら)しや私刑を行なう人の不寛容」に関しては、ネット・SNSの普及で日本の同調圧力・排斥(はいせき)的な風潮が強まり、心が貧しくストレス発散が下手くそな人が、それに甘んじているのが原因なので、見出しのとおりになります。

しかし「人間関係への不寛容」を指す場合、寛容な心を出せば、その優しさにつけあがる人、甘えては図に乗って色々要求をふっかける人、その善意を踏みにじる人、思わぬ被害妄想や逆ギレをされてトラブルや事件沙汰になるのも珍しくないのが、今の世の中です。

「人に優しくしよう」は善い行いですし否定はしませんが……「正直者はバカを見る」「真面目な人ほど損をする」の言葉どおり、前職を辞めてから休職中の期間に、いい人(いい子ちゃん)ぶるのはやめ、合理的に判断して生きようと心に誓ったほどでした。

特に情緒不安定な人や発達障害を持つ人、そして認知症疑惑のある高齢者に対して、寛容な精神を向けるのは極力やめたほうがいいと助言します。偏見(へんけん)とか差別ではなく、実際にものすごく苦労した多くの経験や、実生活の友人たちが、同じような被害体験をしたので相談に乗ったがゆえの結論です。

性善説(古来の定義ではなく、「人間は誰でも思いやりと道徳心を持つ」の意)』の限界というか、親切を食い物にしたり悪意がないタチの悪さを、身にしみて理解しましたね。人間不信的な考えかたでしょうが、現代で性善説的な考えが成立するのは、フィクションの中だけであり、ファンタジーでしかないと。

この寛容の心を出すと精神的にも体力的にも不幸な結果を返してくる「関わるとヤバイ疫(やく)病神」は、世の中に一定数いるのに、一方的に「不寛容社会だ」と言ってしまうのは、よっぽど恵まれた環境にいるのか、性善説を相当信じ込んでいないと、思いつかない発想ではないでしょうか?

「諦めずに努力をすれば夢は必ず叶う」
夢を叶える努力や行動は「叶える確率を上げるもの」に過ぎず、ほとんどは育った環境や支持者の存在、運命のめぐり合わせといった「運」です。

役者の子供なら同じく役者として活躍できる確率は上がるし、ひとりの採用枠で同じ努力をしたふたりのどちらかを採用するなら、差異がなければ直感や多数決という名の運。両親が夢を応援してくれるのか、または全否定されているのかでも変わってきます(そのぐらい両親の存在は子供にとって大きい)。

運命という点でたとえると、ピコ太郎氏が世界的に有名になったのは、地道な努力で上げつつも、たまたまジャスティン・ビーバー氏が興味を示して拡散してくれたからという、奇跡的なめぐり合わせがあったからですよね?

幸運に恵まれた、夢が叶った人もいる一方、同様に努力したのに結局夢が叶わず、違う道に進まざるを得なかった人もいる事実に目をそらし、努力すれば夢が必ず叶うというのは、ある意味、努力をした人を努力不足だと否定する無責任な言葉にもなりかねません。

よく「成功した人はみんな努力をした人だ」って綺麗事もセットで語られますが、結果論ですからね。成功したからその努力が付加的に評価されたのであって、「成功できなかった人は同じように努力していない」となぜ言い切れるのか。

そもそもとして、努力と成功は決して比例するとは限りません。とっさのひらめきや運命の出会いといった「運」によって、未来が変わることだってあるんですから、血と汗を流した努力が多ければ多いほど夢は叶えられるって、前時代的なスポ根(根性論・精神論)発想か、フィクションの観過ぎかと。

それを説明できる人が少ないから、努力よりも運が重要だと自分は思います。現に「成功したのは運が良かったから」と語る実業家や著名人は割といますよ?

誤解してほしくないのは、「どうせ無理だ」と諦めて夢から逃げるのは、チャレンジの心がないただの臆病者ですし、努力という行為そのものは全否定しません。夢を追い続けてもなお成果が見えず悩む者、初めから夢を諦めてあざ笑っている者は全然違います。努力だって別の方面で活きることだってありますからね。

「努力すれば夢は“必ず”叶う」という、保証できない証明を安易に掲げるのは無責任という話で、もし「努力し続けて長年の夢がついに叶いました」と主観的な言葉なら、多分誰も綺麗事だと文句は言わないでしょう。

「いじめ根絶! いじめをなくそう!」
大人の世界でもパワハラやセクハラ、待遇格差、差別・ヘイトといった陰湿ないじめは数多くあるのに、子供のいじめを根絶できるワケがない。

もちろん結果論として、いじめを行った加害者に罪は償わせるべきだし、いじめを肯定する気もさらさらありません。ですが、いじめる側も家庭環境など、複雑な問題が隠されている場合が多く、いじめ加害者もまた、親や親族からのいじめ被害者だった……

……なんて事態もあるのだから、「いじめはいじめる奴が100%悪い」と一方的に断罪するのも、なんの根本的解決になっていません。

最近は過去に壮絶ないじめ経験があったと、告白する有名人やアイドルが多くなりましたが、自分語りと「いじめする奴は最低」と言うだけでは「だから?」としか言いようがない。

むしろ、いじめ被害体験を持ち出して熱弁に語る有名人・アイドルほど、別の方面で(大なり小なり)いじめ加害者になっている可能性が大いにあります。いじめ被害者が別の方面でいじめをしていた(立場が下の相手、オンライン上、小動物相手など)ケースは、世界中で見られる事実。

個人的目安で、「いじめ被害体験」をカミングアウトする人が、普段から何かに怒る内容を発信していたり、非があっても反省よりも先に開き直る場合、無自覚加害者説が濃厚になりますね。「正義感が強い」とは「(敵と認定すれば)非常に攻撃的になる」という意味でもあるので。

実際、「いじめを許すな」と自説を流布し実体験本まで出版するほど、問題に人一倍デリケートなのにも関わらず、自身はツイッターなどで矛盾主張や他者攻撃、謝罪・反省よりも開き直るという、加害者のような行為を繰り返す某オタクアイドル歌手さんは典型例。

だからこそ、「私はいじめられっ子の理解者で味方」だとか、「いじめ根絶運動を宣言する人」は逆に信用できないと感じます。いじめ問題で大切なのは夢と希望を与えるのではなく、「いじめは絶対なくならない」と理解し、どう心のケアをして毅然(きぜん)に対応するかです。



ある意味では、いじめは人間の性(さが)なんですよね。暴行や恐喝といった、犯罪になるケースにはしっかりと法的対処が必要ですが、(自分含め)誰でもどこかでやっているんですよ。小さすぎて気づかないか、無自覚なだけで。

もし学校内のいじめをなくすなら、同年齢同学年制度の見直しや集団帰属・競争社会システムの排除、加害者・被害者双方の徹底した家庭環境への介入、監視カメラの全方位設置とカメラ監視する警備員の常駐など、非現実的な課題を全てこなさないといけません。

雄弁に語っていじめられっ子にありもしない希望と幻想を抱かせるほうがよっぽど残酷。「集団社会・競争社会・縦社会である以上、いじめは起きるし、いじめは絶対になくならない。だから発生した場合のケアや対応をしっかり考えよう」なら現実的ですし信頼できます。

あと、問題や非があれば、元いじめられっ子でもしっかり反省しようね?

「武力を捨てて話し合えば世界は平和になる」
これは色々意見が出るところで、残念ながらこちらは「勉学の機会が充実している先進国だから言える」という感想を抱きます。かといって、「世の中にはこういう人もいるんだから日本は恵まれている」なんて綺麗事を言うつもりもありません。日本の貧困(相対的貧困)も笑えないものになっています。

……話を戻し、もちろん発展途上国にもこういった考えはありますが、そもそも話し合いで解決できるのであれば、今世界はとっくに内戦も紛争もなく平和になっているはず。軍だって不要です。

世界には勉強や教育の機会を奪われた結果、言葉ではなく暴力に頼らざるをえない人が住む国や、軍があるから他国に襲われるリスクが減るワケで、その価値観は「それを実感していない先進国の正義とごう慢」とも言えるもの。そして向こうからすれば、武力が正義(もしくはやむをえない対話の手段)だと言える可能性だってあり得ます。

しかしながら、現地に赴(おもむ)いて見ていない自分が世界情勢を語っても説得力ないので、言えるのはこのぐらいですね。


このように吹聴する綺麗事とは、絵空事であるばかりか相手を傷つける凶器にもなります。そして、その被害に苦しむ人たちがこれらを綺麗事を否定すると、

  • 「そんな世の中の当たり前のことすら分からない奴」
  • 「大した経験を積んでいないくせに達観者気取りをして偉そうだ」

と言わんばかりに、綺麗事のレールに従わない相手に否定や、異端的な目を向けようとする人たちが出てきます。先に記述した「綺麗事を否定する人はひねくれてるだけ」って考えを持つ人は、その行動を無自覚にしている可能性が高いです。

日本では悪習でも伝統と称し、同調圧力が強い風潮があるだけにさらに肩身の狭さを強いられる部分がありましたが、最近はMeToo(私も)精神か、そうでもなくなってきたのは幸いですね。

綺麗事を並べる人の心理・対策

なぜ世の中には、このような現実や当事者を見ない無責任な理想論を並べ立てる人がいるのか。自身の経験や様々なサイト様の個人的見解などを集約すると、

  • 自己愛が強い】プライドが高く、自分に酔っている俺かっこいい人間。ナルシスト。
  • 上から目線】人生の先輩としてアドバイスしてやる感。先輩風を吹かせるが、当人は大してすごくもない人のほうが多い傾向がある。
  • 否定されるのが嫌い】当たり障りのないことを言うだけの、無責任なことなかれ主義。正当な意見でも攻撃と捉(とら)える極端思考のタイプ。
  • 自分が正しい病】「俺の言っていることは常に正しい!」と本気で思い込んでいる頑固者。中には自己愛性パーソナリティ障害や統合失調症が原因もあるらしい。
  • 現実や実情を知らない】未体験や恵まれた環境にいるがゆえの視野の狭さ。それを見ようともしないから痛みが分からない。
  • 脳内お花畑】頭の中がふわふわすぎなラブアンドピース。ある意味幸せ人。
  • 感情的な人】問題解決能力・ロジカルシンキング(論理的思考)の思考力が乏しい。
  • 保守思想】伝統や慣習は変えるべきではないと思っている。悪習も伝統だと考える時代錯誤(さくご)な人。古いタイプの人間。
  • 大人の都合】スポンサーや事務所の配慮など。または綺麗事を利用して支持者を集めようとする偽善的な人。
  • 綺麗事は心の支え】綺麗事のおかげで自我を保っている。ある意味最大の被害者かも……

……と、以上の傾向が多いのが分かりますね。

そんな人たちへの対策は、ネット・SNSであれば「関わらない」。実生活の場合は「適当に流すか、『じゃあ具体案と対策を聞かせてください』と試してみる」が効果的ではないかと提案します。

ネット・SNSの場は「自己主張したいけど意見は許さない」という「言われる・指摘される覚悟がない人」も少なくなく、批判・批難を同一視して議論すらもできない平行線で終わるケースが散見されるので、関わるだけ労力と時間の無駄です。結局、論点をことごとく都合よくずらされ、己の正当性を自己弁護して聞く耳を持ちません。

実生活の場合は適当に流すに加え、「具体案と対策を求める」と書きましたが、大体これを実行すればぐうの音も言えないか、「自分で考えろ」と逃げる形になります。そこから周りには「口だけは達者」だと嫌われて自滅するだけなので、次第に絵空事は言わなくなるかと。

それでもダメならおめでたい人だと、諦めて見捨てるしかないですね。自己改善・反省できない人は捨てられても仕方ありません。

最後に:綺麗事の何が悪いのか…それは凶器になるから

綺麗事とは、その問題に苦しむ人を追い込む無責任な言動で、当事者の心も傷つける凶器

ネット・SNS・テレビなどで悠々と吹聴する人は、「悪意のない害(悪意のない悪意)」を振りまいているんですよね。「何が悪いのか分からない」なら、無自覚なだけにさらにタチが悪いです。

そのとおり世の中が進めば誰もが幸せでしょうが、一枚岩ではないのが世の中で、人によってはエゴであり偽善者だと思われる場合もあるでしょう。「綺麗事かもしれませんが〜」という前置きがなければなおさらです。

もちろん、常日頃から物事をシビアに考えろだとかは言いませんし、モチベーション(理想)という意味で、綺麗事を自身の着火剤として留めているだけであれば、それをとやかく言う権利は誰にもありませんので、語弊のないよう。

この記事で言っているのは「吹聴する綺麗事は当事者を無責任に傷つけるだけだ」であって、「こうでありたい理想を捨てろ」ではありません。

「理想として思うだけ」か、「それを吹聴する」のか……同じような考えかたでも、意味合いは異なってきます。無責任だと指摘され、嫌われるのは言わずもがな、後者ですけどね。

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要望の話やサービス改善、応えられない質問なら、返信を差し控えるのは分かる。でも今回は「入金トラブルで、その原因は会社側の確認ミスだった」という話。

メールアドレスも間違えてないし、そのためにもう一回お問い合わせするのも印象悪いし、ちょっとモヤモヤするなぁ。

絵描き・物書き・Webデザイナー・HTML/CSSコーダーの京都生まれなウサギ好き。「ネチケット(ネットマナー)やネット・情報リテラシーの扱い」「批判と批難(非難)の混同・誤用」には少々シビアで、性別問わず好きなタイプは「反省と改善の努力を惜しまない人」。長文や理論を分析し、簡潔に分かりやすくまとめるのが得意なため、リアル・ネットを問わず、各所からご好評をいただいております。